は天に向かって手を躍らせた。
風のおこし方など知っていたわけではなかった。
ただ直感で”こうすればよい”と思っただけのこと。
優しくカーブを描きながら地から天へ手を振り上げた。
指の先が届く限りの頂上へ達すると、またカーブを描きながら
地へ振り降ろす。

何度も繰り返しているうちに、大地の果てからサラサラと土をなでるものがやって来た。
目の前の幼いシャカは、焦げた園に風が吹き始めたことを感じると
優しい瞳をさらに穏やかにさせて、大地を見守る。

まるでは風神にでもなったかのように・・・
この手で地をひと撫でするだけで、そこに吐息を吹きかけたように・・・
どこからともなく風は姿を現し・・・
確かに透明な足跡を
花々の命にかえて残していった


でも風神の真似はできなかった
宙に手を舞わせるだけで、魂が吸い取られるように・・・
沙羅の園が、風に運ばれた命をしっかりと土に抱くたびに・・・
まるで自身が身代わりになるように・・・

どこからともない風はの命を源におこり
夢の中とはいえ、魂がふくらみを消していくのがはっきりとわかった




 これは人が死に際に見る最後の光景だろうか・・・?
 視界に次々と鮮やかな色が溢れてくる・・・
 シャカの記憶と名乗ったあの少年は、死神ではなかったのか?

 それでもこうやって、沙羅に命を移し与えるのはなぜだろう・・・?
 それは、シャカが私の誇りだったからに違いない。
 最後にシャカと愛し合えた事を思い出せた、
 もうそれだけでいいのだ・・・。
 あの人はこの樹の下でまた、その魂を高め続けるだろう・・・
 そんな彼の精神の源とも言える樹のために死ねるのなら、
 シャカに見守られているのと同じこと。





 シャカ・・・あなたのためにこの命捧げましょう・・・・・。




究極の答えにたどり着いた時、
地の果てから黒雲が津波のように押し寄せ、浮遊感を感じていたの体をのみ込んだ。
視界が闇につつまれた。







 ***






 ・・・・・・・・・・!
処女宮の簡素な寝台の上で、急に意識が覚醒したのを感じた。
何者が自分を眠りから呼び戻したのかはまだわからずにいたが、あの扉の外で
変化が起こった事はすぐにわかった。
聖戦の傷跡が残るあの場所に、微弱な小宇宙がふたつ・・・。
「敵とは思えぬが・・・」
ゆらりと身を起こすと長い金糸が月光を纏った。
寝台から片足を下ろしたとき、侵入者とも言うべき二つの小宇宙に眉を寄せる。


 これは・・・?
 


「そのような事があるはずがなかろう・・・。」
聖衣を装着するほどの事態ではないと判断した。
「だが、確かめぬわけにはいかぬ・・・。」

シャカは裸足のまま処女宮の廊下を歩いた。
あかりひとつなかったが、瞳を閉じたままの彼には何の関係もなかった。
奥へ奥へと足を運ぶたび、予感は確信へとかわりつつあった。



 ひとつの小宇宙はあの女性のもの・・・
 これは、よしとしても・・・

 もうひとつの小宇宙、間違いとも思えぬが確かとも言い切れぬ・・・
 そのような事があるはずがないのだ・・・



侵入者の気配に神経を集中しつつ、考えをめぐらせては
答えを出し、それを否定し・・・

思考のせだろうか、目指す場所はあと数メートル先だと感じていたが、彼の存在が確実にシャカを
扉の前へ導いた。




 何故ここに幼子が・・・しかも・・・・これは・・・・・・




その幼子の存在で、自分が沙羅双樹の園へと続く扉まで来たのだと気づかされた。
足を止め、数メートルの距離をおいて向かい合う。
「何故ここにいるのだ?」

過去と現在はひと続きの流れなのだろうか?
それとも過去と呼んだ時には、今とは切り離されて存在するのだろうか?
そうでなければ、この金色の髪をした少年がここいる理由を説明できはしない・・・。
何度同じ問いを投げかけるのかと思いつつ、見覚えのある
いや、幼き日の自分に向かって口を開こうとした。
「ある出来事は、」
透明な声で、
「完全に忘れられることなはい。」
「このシャカに何が言いたいのだ?」
透明な瞳で、
「忘れているのではなく、引き出すきっかけがないだけ。」
少年は大人になった自分へ歩を進めた。
自分を恐れるわけではないが、シャカは緊張を高めた。
「何か思い出せない事があるとは思えぬ・・・。まさか自分が”きっかけ”だと言いたいのかね?」
「受け入れて・・・いや・・・戻らせて・・・。」
少年はそう言い終えたころには、ふたりの距離は数十センチを残すのみとなっていた。
顔の角度を下げ、瞳は閉じたまま過去の自分と対峙した。
「笑止・・・自分で自分を排除するわけがない。君の戻る場所がこの私の中にあるはずがなかろう。」
「思い出して、消滅した時のことを。」
「そこに何があるというのだ?」
「あなたが風にのせて飛ばしたものは血文字だけではなかったこと・・・」

「私をも風とともに空へ飛ばしたこと・・・」

「私はあなたの記憶、あなたが大切にしていたもの・・・」
「まさか」





・・・・・・・・・・・・・!




その名前に反応したように心の目がかっと見開かれた。
それと同時に目の前の少年からひどい突風が巻き起こった。
思わず両腕を顔の前で交差させた時、第二の衝撃波が襲ってきた。
後方へと押されはじめる足元に意識が傾いた時、幼き自分が突然

重・・・・

そう危険を感じた時にはもう、私が彼を吸収したのか、説明しがたい現象が身に降りかかった後だった。
いつの間にか突風は止み、処女宮独特の静寂が戻っている。


そしてこの瞬間、シャカの中のあるべき場所に記憶が還ってきたのだった。






 ***






「これは・・・なんと・・・・・・・・」
両扉を押し広げ、一歩踏み出した先にあったものは、
聖戦によって、無残にも焼け焦げた大地ではなく、記憶の中の沙羅双樹の園そのものであった。
「元に戻すのに、数年はかかろうと思っていたが・・・」
いつから瞳を開いていたのかわからないほどに、気持ちを奪われていた。
穏やかに吹く風が、小さな花々をほころばせシャカの足をくすぐった。
甦りしひとつひとつの命に目をくばりながら、しゃがんで実際に触れてみる。
「先ほど足に触れ挨拶をしたのは、君か・・・。」
薄桃色をした細い花びらを指にのせる。
そよぐ風に細い茎を揺らしている様子が自分の問いかけに頷いているようだと
シャカは笑みを漏らした。


 この園全体にの小宇宙を感じる・・・




シャカは立ち上がり、沙羅双樹に向かって歩き始めた。






 ***







沙羅双樹の間に、見覚えのある女性が身を横たえていた。
力尽きた様子で、それでいて・・・何か幸せそうで。
シャカはそっと片膝をついた。
「・・・・シャカ、なの?」
自分の名を呼ぶ声に心が反応する。
つい先程まで何の感情も湧かなかった事を思うと、確かに最愛の女性『』に関する記憶だけが
キレイにぬけていたのだとシャカは認めざるをえなかった。
「大丈夫かね?」




2人はお互いの身に起こった事を話し合った。
の夢の中に出てきた少年と、シャカの前に姿を現した少年は同一人物らしいこと。
人の形はしていたけれど、どうも記憶らしいこと。
そして彼はシャカの中に戻っていったこと。
そしては、ふたりの間に起こった不思議な出来事のはじまりをシャカにきいてみた。

「でもどうして・・・今になって記憶が甦ったのかな?」
「記憶自体はもっと早くにお互いの中へ戻りたかったのかもしれないが・・・。
おそらくは戻れる力がなかったのであろう。」
「じゃ・・・記憶を取り戻せたのは・・・・」
の視線に無言で頷いた。
「最近やっとこの園にも緑の芽が生えてくるようになった。
その少ない花々の力をかりたというところか・・・。」
「あの少年は、必死でうったえてたんだ・・・『思い出して』って。」

「はじめからシャカに話しかければよかったのにね・・・。そしたらもっと早く私たち、」
「いや、に話しかけるしかなかったはずだ。」
「?」
「この沙羅双樹から力をもらう前の彼には私の中に戻ることは出来なかったはず。
『戻りたい』と言う真意を知ろうともせず、彼をただの侵入者とみなした私に二度と戻れぬ遠くへ葬られていたことだろう。」
「そうなったらおわりだから・・・。」
「うむ。君を覚醒させ、さらに命を膨らませてから私のもとへやって来たのだ・・・」
「まぁ・・・」
「何だね?」
「クスッ・・・」
「・・・・言いたまえ。」
「切り離されてもさすがシャカの一部、っていうか。」

「回り道でも最後は元の居場所におさまってるなんて・・・」
のいわんとする事が何かわかったシャカは少し不機嫌そうな顔をした。
でもそれが、以前の2人の関係だったのだなと、妙な心地よさを感じていた。







沙羅双樹の下に疲労して身を横たえるの傍らで、シャカは夜空を見上げる。
シャカは『戻るだけの力がなかった』とに言いはしたが、
「そもそも・・・・、君を想う気持ちが、」
「え?」
シャカは自分らしくもない事を言おうとしていると、フッと笑った。

「私は・・・に、残したかった。」
「え・・・?」
輝く星空に視線をやったままポツリと零れる言葉はへ向けられているようだった。
「女神と共に闘い抜き、死をむかえるこの身。それでも・・・・、それを誇りに思っていようとも
消滅する瞬間にはの事を思わずにはいられなかった。」

「もし、もし君の傍にいられないというのなら、せめて証を・・・・!」

「この心、それだけ君に捧げておきたかった。あの消滅する瞬間、この身から切り離して
風に託したへの想いは、導きを失い今日この時まで宙を彷徨うこととなったのであろう・・・。」

には、つらい思いをさせた・・・」

「すまない・・・。」

「シャカ・・・」

「だがこれからは、もう離れることはない。」



「しかし、は本当に”花”なのだな・・・」
「?」
はシャカの言ったことに不思議そうな顔をした。
「以前に”花だ”と言ったのは君の可憐さと、この沙羅の園の花々のように
いつも身近にいて私の精神を高めてくれる故に、そう言ったのだ。」

「しかし今度はがこの園に自らの命を分け与え、私は再び沙羅双樹の下で精神を高めることができる。」

「いわばこの園はの命そのもの・・・」

「君は”花”だ・・・。」
「シャカ・・・・」


シャカはに手を翳して黄金の小宇宙を惜しみなく分け与えた。
そして最後に。


「この樹の下で瞑想する時も、死に場所となる時も・・・
願わくは、の命が花となったこの園であるように・・・・」
「シャカ・・・・・」

の瞳に滲んだ涙に照れて、シャカは視線を空にさまよわせる。
「シャカ・・・・」
「さぁ、目を閉じて少し休むがよい。」

の視界を揺らすものは瞼を閉じると端からすべるように落ちた。
その涙は土へと吸い込まれていった。


きっとそこには、優しい涙色の花が咲くだろう。






          終