■ Flourishの存在意義とは何か?

高木重朗氏は生前、Flourishに対して微塵の価値も見出さなかったと聞いたことがあります。たしかに多くの場合、演者の器用さを強調すればするほど、客の感じる不思議さは相対的に低くなってしまいます。「忌避する」とまで断じては語感が強すぎると思いますが、氏が生涯説き続けたVernon Touchとは矛盾するものとして、Flourishは好ましからざる存在であったのでしょう。

Flourishの是非は、マニアの間でしばしば議論の的になります。過剰なFlourishは私も好みではありませんが、絶対にNGであるとまで極端に考えてはいません。Flourishとは不思議な存在で、それを見せることで客の興奮や注目を高めることもできれば、小休止といったニュアンスで客の集中を解き、持続していた緊張感をいったん緩めることも可能です。例えばMentalistは絶対にFlourishを行うべきではありませんが、そのような一部の例外を除き、自分のスタイルに合ったFlourishを、節度を持って演技に採り入れていくことは有効なのではないでしょうか。

話は変わりますが、フレンチのコース料理ではメインとなる一皿の前にグラニテ(氷菓子)などの口直しが供されます。しかし食事が終わったときに肉料理や魚料理を超えて、口直しの印象がもっとも強く残ったとしたら、そのコースの組み立ては成功とは言えません。グラニテはコースの前半と後半をつなぐ小休止であり、続いて登場するメインのために舌をニュートラルな状態に戻す役割を担うものです。Flourishもそれと同様、基本的には記憶に残らない程度の「ごく控えめなもの」であるべきだという考えが私の根底にはあります。

冒頭に高木氏の逸話を1つ紹介しました。しかし私は、氏がマニアの集まりで「客の前でやってはいけませんよ」と周囲をたしなめながら、いたずらっぽい表情で超絶的なFlourishを披露したという裏話も実は聞いたことがあります。かようにFlourishは、主張しすぎてはならない端役でありながら、かの巨人すらもその存在を捨て置けなかった禁断の果実なのです。その蜜の味に溺れぬよう、演技に用いる際はくれぐれも控えめに…。