■ 下手な演技ばかり見ると、下手な演者になる

「かちかち山」「舌切り雀」「こぶとりじいさん」など、日本古来の民話や昔話には、実は残酷な場面が多くあります。現代の倫理観に照らすと直視できないような内容も、しばしばあっけらかんと描写されており、研究者にとっては当時の文化や社会通念などを知るための興味深いテキストになるのだとか。
 しかし、私は最近知ったのですが、現在書店に並んでいる昔話の何割かは、残酷な表現をカットするなどして原書と違う筋書きに仕立てられているのだそうです。この件に関しては「残酷な作品を読むことが、短絡的に残酷な人間の育成につながるわけではない」と議論が百出すること必至でしょうが、サイトの主旨から外れますので割愛します。

話を本題に移しましょう。昔話の影響には確たる結論が出しづらいですが、私は「下手な演技ばかり見ると、下手な演者になる」というのは、疑いない事実だと思います。もし私が初心者の練習法についてアドバイスを求められたとしたら、手を動かす前に、まず上手な人の演技をできるだけ多く見ることを勧めるでしょう。自分の中に「こういう演技をしたい」という軸を作ることが非常に重要で、そのためには上質な演技を模倣するのがいちばんの近道だと思うからです。

しばしば言われることですが、マジックの演技を構成する要素の中で、タネの占める割合は半分かそれ以下です。一般の(マジックを演じない)人はタネさえ知ればマジックができると思いがちですが、それはまったくの誤りです。そしてタネそのものよりも重要な部分、すなわちSecret Moveを行うタイミングであるとか、客とのやりとりのニュアンス、注目の集め方や遠ざけ方、さらに大きく言うなら客との空気感の作り方、といった事柄を書籍だけで学ぶのは非常に困難で、これらを身につけるには、やはり質の高い演技を数多く見ることに尽きるのです。

歌舞伎や能の演技者が、当初は挙動を正確になぞることから始めて徐々にその真髄を体得するように、マジックにおいてもまず演技の模倣から始めるのがもっとも正しい学び方だと私は思います。最近はライブを収録したビデオやDVDも多く製品化されており、ショーに足を運ぶことなしに、気に入った演技を繰り返し見ることもできるようになりました。ちょっとした熱意があれば、よい演技を見ることはさほど困難ではありません。では逆に「上手な演技だけを見ていれば、上手な演者になる」のでしょうか? それがそううまくいかないのが、なんとも歯がゆくもどかしいところです(汗)。