■ 言いたいけれど、言うべきでないこと

パズルが解けたとき、その解や仕掛けがあまりに巧妙で、思わずため息が出ることがあります。それと同時に自分の驚きや感激を、誰かに伝えたい衝動にかられることも少なくないでしょう。盲点を見事に突かれた悔しさや、それを突破して解にたどり着けた達成感は、しかし残念ながら解いた本人にしかわかりません。感動の理由を言葉で説明しても、他人がそれを追体験することはできないのです。

マジックのレクチャーDVDを見ていると、裏側で行われているSecret Moveがあまりに見事で、絶句してしまうことがあります。目を疑うような超絶技巧を自分以外の人にも見せて驚く顔を見たいと考える人も多いでしょうが、しかしその芸術的なSleightについて、周囲の人の共感を得ることは非常に困難です。難易度の高さを言葉で説明しても、「見る目」を持っていなければその価値が認識できないからです。

感動を他人と共有したいと考えること自体は自然な心の動きだと思いますが、トリックを直接語ることで、その目的を達成することはできません。それどころか、パズルの仕掛けやマジックのタネだけを切り離し単体で語ることは、大げさに言えば「未来に相手が得られるかもしれない喜びや達成感を奪う行為」であり、ごく控えめに言っても、きわめて「品のない行為」なのです。

仕掛けや秘密が重要な価値を占める事物を他人に勧める際には、口をつきそうなセールストークをぐっとこらえ、相手が先入観なくそれと出会えるようにすることが大人の配慮というものではないでしょうか。