■ その改案は改良になっているか?

しばしば言われることですが、多くの作品が「改良」と称して複雑怪奇に手を加えられ、実は改悪されていることは残念な事実です。既存のMethodまたはGimmickに手が加えられる場合、手法を単純にすることが成功につながることはあってもその逆はほとんどあり得ません。優秀なタネというのは、不要な部分をそれ以上ないほどに削ぎ落とした核のようなものですから、それをさらに改良、すなわち単純化することは非常に困難な作業であるのは当然です。

ある手順を演じるにあたって、自分が不得手とする技法をほかのものに安直に置き換え「改良」と称している演者をときどき見かけますが、単に自分の手に負えないという理由だけで代案を挿入した手順に対しては、むしろ「改悪」と呼ぶほうがよほど良心的です。例えば「Convincing Controlが苦手だから、Double-Cutで代用しよう」という発想などはその典型で、結果的にカードが同じ位置に来るという一事だけを頼みに、安易に改良という言葉を使うべきではありません。

たいていの作品(特に古典と言われる手順)は、必然性があってその形にまとまっているのです。先の例で言えば、Convincing Controlを行うと「1、演者が知りうるはずのない客のカードが」「2、何もしていないのに」ボトムに移動します。Double-Cutで代用した場合「1」の効果は同様ですが、カットによってカードが移動したことは明白ですから「2」の効果は期待できません。小さなことですが現象の意味合いがまったく異なってきます。安易な置き換えは作品を貶めるばかりでなく、考案者に払うべき敬意を無視することにもなるでしょう。

ところで、どんな場合であっても原案の一挙手一投足をなぞらなければならない、などと言うつもりはありません。手順の効率化自体が悪いことではないのです。既存の手順を「改良」するときにその動作が客からどう見えるかを考えれば、それが果たして他の技法に置き換え可能なものか否かは自ずと判別がつくでしょう。Secret Moveの改良は常に演者のために行われるものですが、その際に客の視点を正しく意識していれば致命的な過ちは避けられるはずです。