■ タネが判明したマジックに感動はありうるか?

某所で「タネが判明していても、なおそのマジックに客は感動するか?」といった議論を耳にしました。双方それなりの主張があり、どちらにもうなずかされる部分はあるのですが、私の考えを言うならば大筋で「No!」です。

すでにタネが判明しているマジックは、マジックとして成立する最低条件を満たしていないと私は考えます。「マジックはタネのみにあらず」という意見は百も承知です(そして事実だとも思います)が、タネを知っているマジックを見ることは、結末を知っている推理小説を読むようなものではないでしょうか? あらかじめ犯人が明示された推理小説は、文学作品としての優秀さに変わりはないとしても推理する楽しさを読者に与えることはもはやできません。

話をマジックに戻します。客がマニアであるならば、たとえすでにタネを知っている手順であっても、技法の習熟度やGimmickの精密さ、または演出の工夫など、楽しめる点をそこにいくつも見出すことができますが、本来これらは見えてはいけない部分であり、そもそも不思議さに対しての感動ではありません。演技を観るときのマニアの視点が一般のそれとすでに異なることを、この種の議論をするときには常に念頭に置く必要があるでしょう。

マジックにおける誉め言葉として唯一のものは「不思議」だと私は思っています。たいていの場合、一般の(マジックを演じることのない)客にとって、タネの判明しているマジックは不思議なものではありません。