■ 追われたら逃げてもいいのか?

マジックに関する箴言に「追われていないのに逃げてはいけない(Al Baker)」というものがあります。非常に有名な一節ですから、意味の解説は今さら不要でしょう。しかしこの言葉の逆は果たして真実でしょうか。すなわち「追われたら逃げてもいいのか?」ということです。

不思議を不思議のままに楽しめない人は、マジックの客に向いていません。ですが実際の客は紳士淑女ばかりではありませんから、演技の途中で思いがけず「追われる」事態もしばしば発生します。「タネはこうなっているんだろう?」といった追及を受けたときに「いえ違いますよ、なぜなら〜」と反応するのは、あまり適切な切り返しではありません。とりもなおさずこれは「逃げ始め」の台詞であり、演者がこう答えることで客がさらに追いかけてくる可能性がいっそう強まるからです。すなわち「客に追われても逃げてはいけない」というのが、標題に対する私なりの結論です。

ところで、コインマジックの傑作手順「Spellbound(Dai Vernon)」では、常に先回りして客の疑念を払拭するようにハンドリングが組まれています。指先の銀貨が銅貨に変化するのを見たとき、客の心にまず浮かぶのは「銅貨を隠し持っておき、こっそり銀貨とすり替えたのだろう」という疑いでしょう。そのとき客から「もう一方の手を開いてみせろ」と指摘されるより一瞬早く次の動作に移り、再びコインを変化させる動きの中で、客が疑念を抱いている側の手が空であることをごく自然に示してみせるわけです。両手をくっきりと開いて突き出すのではなく、あくまで必要最小限の(すなわちそれが「自然に」ということなのですが)動作に、一段手前のあらためを巧みに忍ばせるというDai Vernonの哲学が「Spellbound」を歴史的名作たらしめている一因なのではないでしょうか。

マジックは生身の人間を相手にしたPerformanceですから、どんなに注意深く振る舞ったところで「デックをもう一度シャフルさせろ」「袖の中を今すぐ確認させろ」といった粗暴なリクエストを根絶するのは難しいものです。が、しかし上に書いた「逃げてはいけない」とは、そういった相手に屈するべきという意味ではありません。理想を言えばまず相手に追う気を起こさせないこと、そして万が一、相手が追いかけようと試みたときには、演者はすでに遠くに走り去っているという状態が望ましいと考えます。きわめて高い技量が要求されることですけれど。