■ 優秀なパズル、優秀なマジック

マジックが「パズルのような」と評されるとき、それは誉め言葉になっていない状況が多いように思います。既存の手順を一部手直しし、それによって生じた不具合をまた直し、さらに修正して・・・といった作業の繰り返しが、パズルの完成形に向かって試行錯誤する様を思わせるからでしょうか? またたいていの場合、そんなふうにして生まれた手順はただ複雑なばかりで、オリジナルを越えることが少ないからでしょう。

「優秀なパズル」について考えてみます。よいパズルの条件をいくつか挙げることができますが、その1つは「ルールが単純である」ことだと思います。「ただし」がいくつも並んでいるような説明文は、それだけで解き手を辟易させるでしょう?

1つの典型として、ルービックキューブを例に挙げます。あの玩具が、パズルと意識させぬほど自然に老若男女の間に浸透した一因には、やはり仕組みの単純さがあったように思うのです。始めて手に取った人でも、1分も触っていればあの立体がどのように動くものかを直感的に理解できますし、どうなった状態が完成形なのかもすぐに想像することができます。同様に、クロスワードやジグソーパズルのルールがわからない人もいないでしょう。完成に至る道筋が明瞭であることが、よいパズルの一条件ではないでしょうか。

優秀なパズルというのは単純なものなのです(単純=簡単ではないですよ。誤解なきよう)。そしてこれはある意味、マジックにも共通して言えることだと考えます。「現象を強烈にするために手順を簡単にせよ」というのはPaul Le Paulの言葉だったでしょうか。複雑なカットを繰り返したりパケットの枚数を何度も数えさせたりした後に最初に引いたカードを尋ねると、客が目を泳がせて口ごもってしまう。こんな場合の責任は100%演者にあります。

「パズルのような」がマジックの誉め言葉になっていないと述べましたが、厳密にはこの言葉が比喩として用いられたときに、否定的な意味で使われているということにすぎません。実は、優秀なパズルと優秀なマジックはお互いに学ぶべきものが多い存在だと感じます。