■ アマチュアは駒を動かしただけです。「指した」ということとは別ですよ。

升田幸三/天狗太郎 『将棋名言集』


天狗太郎とは『将棋文化史』などの著作で知られる作家・山本享介氏の、観戦記者としてのペンネームです。この一節は、同氏が著した『将棋名言集』の中に収められた、名人・升田幸三の言葉。後に「プロの場合は、そこに一つの確乎たる理論を組み立てて、新しい将棋を作り出す。それが新手というものですよ」と続きます。

「プロが駒を置く背景には必ず理論がある」とする主張には、マジックの演技に通じる部分が多くあります。棋士がけっして無駄な一手を打たないのと同様、真に優秀な演技には、実は無駄な要素が一切ありません。すべての動作には必然性があり、あらゆる台詞に意味があり、手順全体に理論の裏付けがなされています。それらがいかに繊細で巧妙な配慮に基づいて組み上げられているかを知れば、忘年会でNon-Magicianが披露する脱線だらけのカード当てがまったく別物であることを自ずと理解できるでしょう。

極端を承知で言えば、「駒を置く」ことは「客のカードを当てる」ことになぞらえられるかもしれません。ともすれば到達点・完成形とも映るその段階が、実は「指す」こと「演じる」ことのほんの入り口にすぎないとわかれば、その先の奥深さに思いを至らせ、しぜん謙虚に学び続けることができるのではないでしょうか。

升田幸三は、ユーモアに満ちた毒舌を放言する豪放磊落な棋士でした。しかし言い散らされる言葉の裏には、緻密な理論とたしかな信念が見え隠れしています。「将棋の鬼」「百年に一人の天才」と称された棋界の巨人が遺した言葉には、さすがと唸らせられる深さと重みを感じずにはいられません。