■ 知識は能力となる時に貴い。

中野重治 『愛しき者へ』


文壇に現れた当初、中野重治は日本情緒を盛り込んだ抒情詩で脚光を浴びましたが、やがて政治活動に身を投じ鋭い時事批判を続けたため、弾圧を受けついには投獄されます。上記は、獄中から妻にあてた書簡の一節。いくら博識であってもそれだけでは価値がない。必要なときに適切な知識を取り出し、局面に応じてそれを生かす能力を持って初めて役に立つのだという主張は、強大な勢力と相対し、机上のみの知識の無力さを痛感した筆者による重い一文と読めます。

あるマジックの知識があることと、実際にそれを演じて見せられることはまったくの別物です。ですから100種類の技法を知ることよりも、完璧な技法を1つ身につけるほうが実は難しく、そして価値あることだとの主張は正論でしょう。しかしアマチュアの愛好家について言えば、何かと戦っているわけでもなく、すべては自己満足に集約していく行為なのですから「知識は能力として外に発揮しなければ意味がない」と気張る必要は必ずしもありません。

作品名や考案者、技法やギミックの知識を、ちまちまと自分の中に収集していくのは楽しいものです。そのコレクションを時折取り出し、愛好家どうしで話のタネにするのも一興でしょう。ただし、なまじ知識があるばかりに他人の演技をすぐ「One of them」だとみなし、軽視する人を時折見かけます。そういった人はレストランの名前ばかり覚えている味音痴のようなもので、残念ながらマジック本来の楽しみに触れられていないように思うのです。本人が満足ならば、特段何も言うことはないのですけれど…。