■ 遠近高低一も同じきは無し。

蘇軾 『題西林壁』

(廬山を見るにあたり)遠くから望んだときと近くに寄ったときでは高くも低くも見え、ただの1つも同じ姿に見えることがない。


「自分の手順ではFrench Dropを絶対に使わない」と主張する愛好家に会ったことがあります。“Dai Vernonが「Cups and Balls」の手順で(演出としての)タネあかしにFrench Dropを用いていたから、これはもはやSecret Moveではない”というのが頑固な彼の持論でした。なるほど一理あるとも思いますが、かといってFrench Dropという技法が明日から急速に廃れていくかというと、そんなことはありません。

こういったこだわり自体は別段珍しいことではなく、「各人の細かな考え方の差異を内に含みながら、大勢としては同方向の流れの中にある」というのが、現在のアマチュアマジックの世界だと私は考えています。姿勢や態度、技法・演出などに関して、各々が異なった観点や立場から私的な解釈を行って演技を組み立てており、それは非常に健全なことだと考えているわけです。

最初に述べた「French Dropを絶対に使わない彼」も、魔法としか見えない美しいFrench Dropをこなす演者が世に多く存在していることをもちろん認めています。また他者がその技法を使うことを諫めるわけではけっしてありません。絶対的な正解のない表現の世界においては、こういった千差万別の哲学の存在、異論を許容する寛大さがあるからこそ多様な演技が併存し、内容に厚みが出てくるのであろうと思います。