■ 博聞強記は聡明の横なり。精義入神は聡明の竪なり。

佐藤一斎 『言志四録』

広く物事を知りよく覚えていることは、聡明さの「横幅」である。道理を詳しく学んで純粋に考えることは、聡明さの「深度」である。横幅と深さがともに充実していれば、事に臨んで恐れることは何もない。


信じられない数のマジックの作品を知っている愛好家がいます。「頭でっかちで手は動かない」と皮肉られることもしばしばですが、たいていの場合それは「口が動きすぎている」が故の苦言であり、知識が豊富であるそのこと自体はけっして害にはなるものではありません。

マジックについて少し学べば、多くの作品どうしが互いに影響を与え合い、長い時間をかけて進化してきたことがわかります。現象にしても技法にしても、まったく前例のない画期的なものが突然生まれることなどめったにありません。何らかの先例を下地にさらに効率的な解決法が編み出される場合や、ある原理や技法を別の状況・素材に適用するケースなど、いわゆる「改案・応用」であることのほうが、実は圧倒的に多いのです。それらは過去についての知識なしでは生まれ得ないものですし、先人の考えを深く学ぶことは、マジックを構成する根源的な原理に触れる意義のある行為だと考えます。

さて「知は力なり」とは言うものの、手順を知っていることと演技ができることはやはり別物です。中級者以上の演者であれば、比較的短い時間で書籍で解説されたとおりに手が動くようになるでしょう。が、しかしそこを起点として、手順に自分なりの肉づけをしていく作業が実際の演技のためには不可欠です。そして演者の創造性を存分に発揮しうるこの段階にこそ、マジックの醍醐味を感じる愛好家も多いのではないでしょうか。

知識という横糸に個性という縦糸を織り込んでいくためには、やはり知ることと考えることのどちらをも欠くことができません。