■ もしその能に当るときは、事、通すること快し。用、その宣しきを失すれば労すといえども益無し。

空海 『性霊集』

才能にふさわしい仕事を行うときには万事快調に進行できるものだが、才能にはずれた仕事というものは、努力し苦労しても効果が上がらないものである。


『性霊集』は空海の言葉を弟子・真済が拾集し、詩文集のかたちで編纂したとされる書物。密教に基づく思想書という認識でよいのでしょうか。

一口にマジックと言っても、誰しもその中で得手不得手があることでしょう。カードマジックは得意だがコインマジックは手に合わないという人、知人相手ならリラックスできるのに初対面の人の前では極端に緊張してしまう人、客を笑わせることは雑作もないのにシリアスな雰囲気を作るのが苦手な人など、実情はさまざまだと思います。そして演技を見せる状況は、必ずしも自分にとって完璧な舞台ばかりではありません。

客や機会を選んでマジックを披露できるのはアマチュアならではの特権ですから、あらゆる状況に対応できる演者である必要はないと私は考えています。気の置ける人には披露しない、酒の席では演じない、マニアには見せない(笑)といった自分なりの「演じない場」を持つくらいがむしろ当然だとさえ思います。なぜなら愛好家にとっては、客を喜ばせるのと同じくらい自分が楽しめることが重要であり、だからこそ自分がどういった状況でもっとも能力を発揮できるのか、それを把握することが非常に重要だと感じるからです。

誤解してほしくないのですが、自分に向かないマジックは練習することすらムダだから、いち早く切り捨ててしまえと言っているのではありません。この一文にかこつけて書きたかったのは、何が何でもAll-Round Playerになるという気負いは必要なかろうということです。

この種の話題を突き詰めていくと、自分の能力ひいては人間性がマジックというPerformanceに向いているかという議論にどうしてもなってしまいます。が、しかし、プロマジシャンを目指すならともかく、趣味で楽しんでいる限りそこまで深刻に自分の才能の有無に懊悩する必要はないでしょう。歌手としての適性に悩みながらカラオケボックスのドアをくぐる人は滅多にいないのですから。