■ 落花心あれば流水もまた情あり。

山東京伝 『桜姫全伝曙草紙』

散る花にも心があり、流れゆく水にも情感がある。


四季の移ろいや自然の風景にさまざまな感情を投影することは、洋の東西を問わず古くから行われてきました。文学や芸術の作品群の中で、人は自然の営みに恋愛の喜びや人生の苦悩、果ては世の無常をも重ね合わせて表現してきたのです。マジックの世界においても、出現・消失・移動・一致・復活といった基本現象に特別な設定や物語を加えることで、いっそう高い効果を狙うという演出が、Poeticな演者によって多く試みられてきました。しかしそれらは必ずしも狙いどおりの結果を収めてはいないように思います。

マジックの現象はそれ自体が非日常であるがゆえに、適切に演じられれば、単体ですでに客に強く訴えかける力を有します。そこに別の要素(例えば、この4枚のカードは人食い人種ですといった設定)を加えると、単純に現象を示すよりもはるかに高い表現力が要求されることになりますし、力不足の演者では、マジックとしてもお話としても意味の通らない支離滅裂なPerformanceになってしまう可能性すらあるのです。

「Frog Prince(Michael Close)」はたしかに傑作だと思いますし、なるほどあのくらい見事に手順と物語が融合した作品を目にすれば、現象以上の表現を手順に盛り込むことに挑戦したくもなります。しかしあれほどの傑作はけっして多くないこともまた事実ですし、カードをお姫様や探偵などに例えずにシンプルでストレートな台詞を用意したほうが、現象が際立つ場合が多いようにも思います。マジックの基本形に何らかの要素を付加して効果を狙うのは諸刃の剣であることを、常に心に留める必要があるのではないでしょうか。