■ 良驥の足を絆して責むるに千里の任をもってす。

呉質 『答東阿王書』

名馬の足を縛っておいて千里を走れと責めても、それは無茶な要求である。


たとえ能力に恵まれた人でも、それを発揮できる環境が整わなければ要求に応えることはできません。世の人は紳士淑女だけではありませんから、ときに無体に振る舞う客に遭遇することもありますが、アマチュアの愛好家は無謀な注文を呑んでまで演技を見せる必要はないと私は考えています。マジックはタネの存在を前提に楽しむEntertainmentであり、魔法や超能力ではないのですから。

…さてそれでは、超能力者は客の理不尽な要求を受け入れなければならないのでしょうか?

例えばテレビでの超能力番組を考えてみます。超能力者を演じるマジシャンは例外なく「縛られた足で千里を走る」ような行為を強要されます。しかしそれらが番組を成立させる上での必要条件であり、Performerにとって想定内の状況であることは言うまでもありません。彼らは自分を極めて厳しい条件下に置く(と見せかける)ことで、現象を効果的に披露する舞台を整えているからです。「目隠しをされ手錠を掛けられ、別室に隔離され…、こんなことまでされたら絶対に無理だろう」と客が思ってくれたのなら、マジシャンの目論見は完全に達成されたと言えるでしょう。

現象を起こすことがきわめて困難な状況を「あたかも周囲から強制されたかのように」作り上げることができれば、演技の効果はそれによって劇的に高められるはずです。観客自らの手で考えうる限りの枷をかけ、にも関わらず演者が奇跡を現出したという錯覚は強烈な印象を残すからです。もちろんホンモノの超能力者なら、そんな小細工が無用であることは言うまでもありません。