■ 自分の才能を目立たせないことが真の才能である。

ラ・ロシュフーコー 『箴言集』


マジシャンの才能とは何でしょう? 広く言えばそれは客を楽しませること、つまり客と密接なCommunicationをとる能力にほかなりませんが、他のPerformanceにはないマジック特有の能力と限定するならば、「技法をいかにこなせるか」ということもまた、かなり重視されるべき事項ではないでしょうか? ですがこう仮定することで、マジックの才能を評価することは俄然困難になってしまいます。

念のために言っておきますが、私は技法偏重主義者ではありません。しかしテクニックの洗練がマジックを進歩させてきたことも歴然とした事実ですから、その意味で、Misdirectionを含むSecret Moveの技術がマジシャンの才能(の1つ)であるという論旨は、けっして無理のないものだと考えています。

さて、陸上選手であれば速く走ることや高く跳ぶことが個人の才能として公明正大に認められますが、マジックの場合、万人に対して明瞭とは言い難い一種異様な判断基準が持たれていることに気が付きます。つまり客の意識から技法の存在を消すことがマジシャンの才能であるならば、才能のある人ほどその能力が見えなくなるといった奇妙な結果を招くということです。「多いほど見えなくなる」とはまさに謎かけのようですが、これはマジックというPerformanceの特性を象徴する興味深い一面ではないでしょうか。

技法は才能だとの仮定を繰り返します。そして、能力が高いほど技法は見えなくなっていきます。マニアが集まると「さっきのTop Changeは上手かったね」といった言葉がしばしば聞かれますが、そこには常に逆の意味が含まれていることに思いを至らせなければなりません。