■ 大匠は拙工の為に縄墨を改廃せず。

孟軻 『孟子』

大工の棟梁は、下手な職人が縄墨が扱いにくいなどと言っても、そのために使い方を変更したりはしないものだ。


縄墨(じょうぼく)とは、材木に寸法の印をつけるために用いる道具。横たえた材木の上に墨のついた糸を張り、それを弾いて木に叩きつけることで線の跡を残します。定規などで代用できないこの道具の素晴らしい特徴は、糸を弾くときに角度や捻りを加えることで、若干湾曲した線を描くことができることです。名人が行えば、しなった材木をタテに等分する緩い曲線を自在に描くことができるわけですが、この道具をそこまで操るには、やはりたいへんな年季が必要とされるそうです。

上の一節は、修練が必要な技術を伝授するにあたって、目先の困難を回避するために安きに流れることの愚を説いています。何らかの技術を教授する際、その習得が難儀だからという理由で部分的に程度の低い代案を組み込むことは、たいていの場合よい結果を生みません。頑なに最上級のテクニックを強要すべきという意味ではもちろんありません。十分に吟味して最適な代案を用意するのと、うわべだけ似せて安易に面倒をしのぐことは、まったく別物だということです。

クロースアップ・マジックを教える場面で例えれば、原案でPassを使ってカードコントロールすべき部分を、「学ぶ側がこなせないだろう」という理由で単純に何らかのShuffleやDouble Cutに置き換えた場合、現象の持つ意味合いが変わってきます。まさかForcingを忌避するあまり、客にカードを選ばせる段を省略してしまう人はいないと思いますが、程度の差こそあれ、私たち愛好家は習得済みの慣れた技法を代替品として使ってしまいがちだという事実は否定できないでしょう。

発表された原案を、必ずしも忠実になぞる必要はないと私は考えています。ですがマジックの手順を他人に教授する立場となり、かつ原案を何かしら改変して伝えようと試みる場合には、考案者に対する敬意を念頭に置いて十分な慎重さを持って行うべきでしょう。深い自戒を込めて。