■ 天下の物の上手といえども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。

吉田兼好 『徒然草』

世間にその名を知られる名人であっても、かつては未熟者と言われたり、大きな欠点を持っていたりした時期がある。


技芸を披露するにあたって必要以上に慎重になることを戒める一文。前後の文脈も含めて意訳すると、たとえ未熟であっても上手な人に交じって悪口を言われ、笑われながら修行してこそ大成するものだという主張です。

マジックは芸能、つまり観客が存在して初めて成立する芸事ですから、最初の練習は鏡を相手に行うとしても、結局は他人(観客)を前にしてその効果を試すよりほかありません。そのため「現象が正確に観客に伝わっているか?」「間の取り方は適切か?」といった事柄を確認する目的で、臆せずどんどん見せて演技を修正していくことは、一見おおいに推奨される行為のようにも思えます。

しかしマジックの場合は、観客に見せるのは鏡の前での練習を十分にこなした後にするべきです。平易に書かれた入門書ほど「よく練習してから見せましょう」といった一節を設けているのには、ばれてしまうとマジックが成立しなくなるという直接の理由もあるでしょうが、タネがばれることに慣れ、秘密の保持に重きを置かなくなってしまうと、上達がけっして望めないからという理由のほうが大きいのではないでしょうか。やや大げさに言えば、絶対の自信がつくまで人前で演技をすべきではないのです。

今回この一節を引いたのは、マジックは歌舞音曲の類と事情が違うことを言いたかったからです。笑われながら修行する必要などまったくありませんし、心がけるべきはむしろその逆です。