■ 私は善をほどこそうと思いながら、それに喜びを感じることができる。同時に、悪をなしたいとも思い、それに歓喜を覚えることもできる。

ドストエフスキー 『悪霊』


完全なる善も完全なる悪も、なかなか存在しがたいもの。たいていの人間の心の中には、善を行う喜びと悪を楽しむ心が同居し混沌としています。

マジックを始めた動機が「周りの人を楽しませ喜ばせたいから」だったという話を、時折耳にします。ただし他人を楽しませる数多くの手段の中から歌でも絵でも踊りでもなく、あえてマジックを選んだ人には、やはり人と違った少しユニークな性向があるのではないかと私は思います(ずいぶん言葉を選んでいますよ、笑)。不思議な現象を眼前に突きつけられたとき、それを解決したいと考えるのは自然な心の動きですが、そういった不思議を自分の手で作り出し他人に影響を与えたいとまで考える人は、やはり根底に特別な嗜好を潜めていることが多いような気がします。

マジックには「人を騙して悦に入る」「煙に巻いてからかう」といったダーティなイメージが付きまといがちであり、そのため多くの先人たちが「客と勝負してはならない」「観客と一緒に楽しむ姿勢が重要だ」などの、有用なアドバイスを残しています。しかし多くの反論を覚悟の上で、あえて天の邪鬼的な意見を述べるなら、他人を欺いてニヤリとするような心持ちも、実はマジシャンに不可欠の素養ではないかと考えます。逆に言えば、人の心理の裏をかいて「うまくやる」ことに快感を覚えるような人でなければ、マジックを趣味には選ばないと思うのです。心当たりはありませんか(笑)?

一般に、人を騙すのは悪いことと学校では教えられますが、マジックの世界において、そういった心の持ちよう自体が悪だとは私は思いません。ただし「バレる嘘をつくヤツが嘘つきなんだ」という理屈と同様、やるのなら相手が怒りや悔しさなどを感じないほど、見事にキレイに騙すべきでしょう。洗練された方法で美しくかつ大胆に! それが重要です。