■ 友人とは、会っていると抵抗感がなく、何日か会わないでいると落ち着かなくなり、相手を何等かの意味で尊敬していて、しかもある点に関しては軽蔑しているというふうでないといけない。

山口瞳 『男性自身』


私が本格的にマジックを趣味としてから10年近くが過ぎようとしています。実生活で10年以上交流が続いている友人など数えるほどしかいませんから、そう考えると短くない付き合いです。最初の頃は寝ても覚めてもマジックのことばかり考えていましたが、ほとんど頭に浮かばない倦怠期も数年間あり、そんな状態を経て、現在は適当な距離をおいて上手く付き合えていると感じています。

上の引用は『週刊新潮』に実に31年9ヶ月間に渡り、1度も中断することなく連載されたエッセイ「男性自身」から。一言で断じにくい友情という概念を簡潔に言い得ている一節と見ます。例のごとく強引にマジック寄りの解釈をしているわけですが(汗)、私は特に後半が興味深いと感じました。「何らかの意味で尊敬し、ある点に関しては軽蔑している」という一面が、マジックとの付き合いにおいてもたしかにあると思うのです。

優秀な作品を知るほどに、私たちは完成された優美さをそこに見出すことができます。Subtletyは多くの先人の手になる叡知の結晶ですし、精密なGimmickは芸術作品のごとき細工を施されています。まさに珠玉に値する有形無形の財産が無尽蔵に眠る世界と、多くの愛好家には映ることでしょう。
 しかしマジックに携わる人間は、それが大衆芸能であり、所詮「見せ物」であることをも忘れてはいけないと思うのです。演者の過剰な思い入れを客に押しつけている光景ほど見苦しいものはありません。興味のない人にとっては目障り耳障りで価値のない芸にすぎず、軽く捨て置かれても何ら不思議ではないのだと冷たく突き放してみる視線も必要、とまで言っては度が過ぎているでしょうか。

マジックを芸術表現と考える人がいる一方で、客を騙す詐欺の類と捉えている人もいます。このような認識のされ方をしている芸能はほかに例がないと思いますし、あえて言うならこの相入れない性格を内部に併存させていることこそ、マジックというPerformanceの魅力ではないかとも考えます。いずれにせよ懐の深いマジックの世界を本気で語ろうと思えば、友情を論じるのと同等の真剣さを要求されることでしょう。