神と妖怪の住まう国・山陰ツアー(2005/10/15〜17)


春頃、ショッピングの帰りに、品川から東海道線の電車に乗って東京駅まで戻った際のこと。
田町の車両ヤードには、寝台特急など数々の列車が停泊していた。それを見て、カミさんとふたりして「寝台特急でも乗ってみたいねー」という話に。
そこからとんとん拍子に話が進み、「なら寝台列車に乗って、今まで行ったことのない場所に行ってみよう!」と相成った。
選んだ行き先は山陰。出雲大社と「水木しげるロード」。ヤオヨロズの神々の住まいと妖怪の町をまとめて見てこようという奇妙なツアーとなったのだった(笑)。
出発の日はあいにくの空模様。しかも降っているのは関東のあたりだけの模様…。それでも行く先は天気がよさげなことから、いろんな期待を胸に、列車に乗り込んだ。

やがて消え往く風景。往路のアシ「出雲」。米子駅にて 往路のアシとして選んだのは、東京から山陰本線(城崎・鳥取)を経由して出雲市までを走行する寝台特急「出雲」。山陰への移動手段としては、この他に電車寝台特急「サンライズ出雲」もあるのだが(岡山経由)、サンライズには以前乗車経験があるので(徳島の友人宅へ遊びに行った際「サンライズ瀬戸」に)、今回は客車で行こう!ということになったのだった。
車内は、古きよき時代そのままの風景。窓際にしつらえられたミニテーブルの下には「センヌキ」があり(笑)、廊下に備えられた灰皿には何と「JNR(=国鉄!)」のロゴ。良くも悪くも、時代の止まったような旅の感覚を味わえる。
向かいの寝台には、スーツ姿の20代前半とおぼしき青年がひとり。大声で会話するのも悪いと思い、5号車のフリースペースに移動して、駅で事前に調達したビールでも飲みながらゆっくり話そうか、ということにした。
5号車のフリースペースは、いわばロビーのようなもの。かつては食堂車として使われていた車両をそのままフリースペースとして活用している。星空を模した車内の装飾はいい雰囲気だが、奥に見えるシャッターの下りたままの厨房が物悲しい…。
手前のソファーテーブルコーナーでは、会社員の方々が大量の酒やつまみをテーブルに並べて盛り上がっている。俺とカミさんは、車両中ほどのテーブルに陣取り、雨に煙る車窓を見ながら会話。
と、そこにごっついカメラを抱えた人と、手にメモを持ったおっさんが。そして、先ほどの会社員さんたちのところへ。耳をそばだてて聞いていると、どうも某鉄道雑誌の取材らしい(爆)。「うわー、ものすごいところに乗り合わせちゃったなー」と思っていたら、案の定我々のところにも取材がやってきた(笑)。
ひととおりあれこれと質問に答えると、今度は誌面用の写真撮影。我々のショットのみならず、会社員さんたちの中にいたオネーサンを別の席に座らせ、あれこれ注文を出しながらポーズをとってもらっていた。「あぁ、雑誌用の写真ってこうしてつくられるんだなー」とある意味感心。
その後、会社員さんたちのひとりが、へべれけに酔っ払ってテーブルの上の缶チューハイを盛大に倒してこぼしたことがきっかけで、彼らと一緒に飲むことに(雑誌スタッフの人もなぜか一緒にw)。東京出張から鳥取まで戻るという彼らと、ひとときの縁を結んであれこれ盛り上がった(ここは読んでないだろうけど、ビールごちそうさまでしたw)。

翌朝は7時に目覚める。直後、列車は名所・余部鉄橋を通過。地上41メートルから臨む日本海の風景は、言葉を失うくらい素晴らしいものだった。
その後、左に大山・右に宍道湖という具合に車窓の風景を変えながら、列車は所定から1分遅れの10時55分に終点・出雲市駅に到着。ノスタルジアに満ちた贅沢な時間はひとまず終わりを告げた(某社契約カメラマンの山アさん、出雲市駅で撮った写真早く送ってくださいヽ(`Д´)ノ)。

 ※この「出雲」、2006年3月のダイヤ改正で廃止が決定しました…(ノД`)
  廃止になる前に乗れたのはせめてもの幸運だったと今は思うことにします。


一畑電車の車窓から。去り往く風景はのどかなり 地元のローカル私鉄・一畑電車に乗り換え、出雲大社を目指す。使っている電車は、かつて愛用していた京王の車両。「出雲」に乗っていた時に感じたものとは別の懐かしさを感じながら、やがて終点・大社駅に降り立った。
駅から歩いてほどなく、大社鳥居前にある「古代出雲大社模型展示館『雲太』」に入る。平安時代の本殿を1/10サイズで復元した模型は、そこにあわせて置かれている人物模型のスケールとあわせ、その大きさを思い知らされるものだった。
鳥居前のそば屋で、本場の出雲そば(3段の割子スタイル。コシがあって非常に美味でした)をすすって、いざ鳥居をくぐり本殿へ。長い松並木の参道を歩くと、ありえない太さの注連縄をさげた拝殿が目に飛び込む。多くの人が賽銭をあげて拝んでいたが、「無信心者」の自分は当然ビタ1文賽銭など出さないw 奥にある八足門も、正月以外は開かないことから、奥にある本殿は、その外側をぐるりと取り囲む瑞垣の外から眺めるしかない。時計回りに瑞垣の外を歩きながら、本殿の威容を推し量る。
奥の方には「彰古館」と呼ばれる資料館が。中には、恵比寿サマや大黒サマの像が多数。その他の資料も結構充実しており、これで入館料50円なら安いと思った。
ひと通り彰古館の展示物を眺めた後、ふたたび瑞垣の外を時計回りに歩き、今度は敷地東南角にある「神ネ古殿(注:しんこでん、と読みます。2字目は、正しくは「示古」という字です)」へ。重文・国宝を含んだ大社伝来の宝物の数々が展示されていたが、こちらはさすがに写真不可(笑)。実はそばを食していたあたりから偏頭痛に悩まされていたが、どうにかこうにか展示物をじっくり堪能し、ふたたび拝殿前を横切って西にある神楽殿へ。こちらには、拝殿のそれよりはるかに巨大な注連縄(重さ5トン!)がさがっていた。
ちなみにこの神楽殿の注連縄、真下から賽銭を投げ上げて、縄に賽銭が刺さればご利益がある…という言い伝えがあるらしい。ご利益なんざ鼻クソぽいだが(笑)、ゲーム感覚で10円玉が縄に刺さるかどうかトライしてみる。
…結果はさんざん。10回ぐらいやってみたが、1度も刺さらず。結構難しいもんだ、と思った。

出雲大社拝殿。神楽殿の注連縄はこれよりもっと大きい! 宿のチェックイン時間にあわせて出雲市駅から列車に乗り込む算段でいたが、それには時間がかなり余ったため、ちょっとだけ足をのばして日御碕(ひのみさき)まで行ってみようか、ということに。前夜の「出雲」車中で一緒になった鳥取の会社員の人から「いいところだよ」と教えてもらったので、きっといい景色が見れるんだろうと思い、折よく大社バスターミナルに来た日御碕行きバスに乗り込む。
バスは海岸沿いの急峻なワインディングを、エンジンを唸らせながらのぼって行く。車窓の風景は絶景そのもの。できればバイクで走ってみたいと思うような場所だった。
やがてバスは終点・日御碕に到着。しかし、宿のチェックイン時間にあわせるとなると、そのまま乗ってきたバスでトンボ返りしなければならない(;´д`)。それでも少しだけ時間があったことから、バス停前の店でイカゲソを買い(笑)、港まで足を伸ばして磯の香りをいっぱいに吸い込む。すぐそばの日御碕神社は、塗り直しでもしたばかりなのか、朱塗りの柱と檜皮葺きの屋根をこれでもかと見せつけるようにたたずんでいた。
あっという間に時間はなくなり、バスに乗り込んで出雲市駅まで戻る。特急に乗り込み、米子まで所要50分。そこからバスに乗り継ぎ、宿泊先である皆生温泉へ。
今回は、ちょっとだけ張り込んで、露天風呂付きの部屋をチョイス。目の前に広がる日本海を眺めながら湯舟につかる(さすがに沸かし湯だけど^^;)というこの上もない贅沢を堪能することができ、非常に幸せな気分だった。料理も非常に美味でした♪
ちなみに大浴場にひかれている温泉は、口に含んでみると海水よろしく強い塩味。「海から湯が湧く」の謳い文句は嘘ではなかったと感じた。

翌朝は、米子からローカル線に揺られ、「ゲゲゲの鬼太郎」生みの親・水木しげるでおなじみの町・境港へ。チェックアウト後、乗る予定のバスに目の前で逃げられorz、どうしようかと思ったが、運よくタクシーを捕まえることができ、米子駅へちゃんとたどりつくことができた。

JR境線の「鬼太郎トレイン」。目玉の処理が秀逸! 米子駅からは、JR境線に乗り込み、境港を目指す。米子駅の0番線ホームは、鬼太郎にちなんで「霊番のりば」と名づけられ、そこだけは「ねずみ男駅」と呼ばれている(笑)。境線全駅に妖怪の名前(とプレートなど)を設置する計画があるらしいのだが、4月の福知山線脱線事故の影響もあってか、当初7月に全駅完成予定だった設置工事は、まだ進んでいなかった。

 ※と言ってたら、10月19日からプレート設置工事が開始されたらしい。
  わしらが帰った途端に始めるなヽ(`Д´)ノ それとももう1回来いってか?w

車体全身に鬼太郎キャラをペイントされた列車で揺られること約40分。列車は境港駅に到着。駅前から「水木しげる記念館」までの通りには、鬼太郎に登場する妖怪のブロンズ像やレリーフが、合計116体(!)設置されている。駅前には、鬼太郎・ねずみ男・目玉おやじに生温かく見つめられながら執筆を行う水木センセのブロンズ像が(笑)。
沿道のブロンズをひとつひとつカメラにおさめながら、記念館への道を往く。帰りの列車の時間との兼ね合いで、あまり余裕がなかったこともあり、早足ですたすた向かうことに。おかげで、途中にある「妖怪神社」に寄ることもできなかったorz 次の機会にはぜひ足を運びたいものだ。
記念館までの道のりのちょうど中ほどには、大正川にかかる小さい橋がある。北側の歩道にはねずみ男・南側の歩道には鬼太郎&目玉おやじのひときわ大きなブロンズがあり、記念撮影の格好のスポットになっていた。
駅からおよそ15分程度だろうか。アーケードに入ってすぐのところに、水木しげる記念館はあった。
入ってすぐ目に飛び込むのは、水木センセの年表と、若かりし日に書いたイラストや油絵、手紙などが並べられている。少年の頃から、優れた画力をお持ちだったことがよくわかる展示。さらに進むと、水木センセのアトリエを再現したセット(蔵書何冊あるんですか…(ノ∀`))や、数々の妖怪模型を展示したジオラマなどがあり、見ていて飽きるということがないものだった。
2階には、今では入手困難(不能?)な貸本時代の作品や、海外で発行された鬼太郎の単行本などを展示したコーナーの他に、背景プレートの前で記念撮影ができるコーナーや、水木センセの単行本が立ち読みできる(笑)図書館コーナーなどもあり、大人・子供を問わずいろんな人が単行本に見入っていた(エアコンが効きすぎて寒かったのはどうにかしてほしかったが…)。
ちなみにこの記念館、かつて料亭だった建物を改造したものということで、見事な中庭がそのまま残っている。庭をじっくり眺められるようなスペースもできれば設けてほしかったところではある。

帰路は反対側の歩道を歩き、ふたたびブロンズをひとつひとつ撮影しながら駅へと戻る。昼食をとっていなかったので、途中で見かけた「水木しげる文庫」という店で、おみやげを物色しつつ軽食をつまむ。ついつい余計なものまで買ってマターリしていたら、あっという間に時間がなくなる!最後は小走りで駅に飛び込み、無事に帰りの列車に乗ることができた(笑)。
帰宅時間は、ちょうど高校生の下校時間とカチあい、車内は途中から地元高校生で満員に(この日は月曜)。車窓を見ていると、沿線にはやたらにセイダカアワダチソウの黄色い花が多数咲いているのが目立った。休耕田みたいなところに生えているのはまだいいとしても、ごく当たり前にどこにでもやたらと生えているのはいかがなものかと感じた(まさか鳥取県の県花じゃあるまいな…)。
米子駅からは、特急「やくも」で岡山まで出て(日野川・高梁川を眺めての車窓はいい景色だった)、そこから新幹線であっという間に東京へ到着となったのであった。
楽しい旅ではあったのだが、正直、2泊3日でめぐるにはムリがあったなー、と感じた。カニのシーズンにも早かったし…。
次はぜひとも、もっとたっぷりと時間をとって、ゆっくり堪能したいと思う。まだまだ見てないところ・味わい足りなかったところがたくさんあるから。




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