廣済堂文庫『天国荘奇譚』に収録。
何か書こうと考えて画面に向かっているのですが、この種の作品についてコメントめいたことを書いてしまうのは即タネ明かしになってしまうのでどうにも気が引けるのです。逆に言えば、これはそういう作品なのだということです。
舞台は1960年前後の東京。はっきり名指しはされていませんが、明らかに「風流夢譚」事件とわかる出来事が会話に登場するあたりに時代を感じさせます。と言うかこの小説も、風太郎による他の現代ものと同様、風俗だの描写だのという点から見た場合には、はっきりと「古い」作品なのです。さらに言えば、どうも氏の文章はこういった描写にはあまり向いていないようです。その理由は考える必要があるでしょう。
それでは、この「太陽黒点」では何が古くないと言えるのか。一言で答えれば「構成」ということになるのでしょう。終り。
…と、本当にこれでお終いにした方が良いのですが。もう一言書き添えます。この作品の構成の仕方は『妖説太閤記』や『警視庁草紙』においてより成熟した形で見出されるものなのですが、ここではその構成自体が前景に押し出されています。その意味では、この作品はなんとなく「習作(という言葉が悪ければ実験作)」という言葉をかぶせたくなるものです。むろんそれは「若書き」という意味ではないのですが。しかし、この種の構成を山田風太郎が我が物にしたということと、氏が虚構の事件をメインにした物語から離れて行くこととの間には、関係があるように思われます。
この作品は、なぜか現在も絶版のままです。
廣済堂文庫『赤い蝋人形』に収録。
山田風太郎作品として唯一の「股旅もの」です。「股旅もの」とは言ってみれば、渡世人(博徒や無頼漢、あるいはやくざ)を主人公にした人間ドラマですが(特にその中で義理人情というものが肥大化していくことになる)、このようなものはどうも山田風太郎向きではないように感じられます。というのも、山田風太郎の小説において登場人物たちにあてがわれるのは、人物としての魅力以上に、無意味な能力と物語における機能なのですから。
ゆえに、本作の主人公である国定龍次にしても、単なる魅力的な渡世人にとどまることはできません。彼の股旅を通して、私たちは様々な侠客たちの姿を見せられると同時に、薩長がどのようにして幕末という時期を演出したのかをも見せられることになります。同時代人にとってはただ「十四代さま、十五代さま」の治世であった時期を「幕末」という一種の終末論的光景に置き換えるための薩長の謀略、と言っては多少書き過ぎでしょうが、しかしこの小説の最後に据えられた「赤報隊」のエピソードを読むとやはり「謀略」という言葉が相応しくも感じられます。
ところで私は、江戸東京博物館で開かれた「皇女和宮展」で、かの「徳川家の馬じるし」を見てきました。いや、確かに「骨の長さはたしかに七尺はある」金色の扇でした。だから何ということもないんですが
ハルキ文庫『厨子家の悪霊』に収録。
廣済堂文庫として出版。
ハルキ文庫『男性滅亡』に収録。
ハルキ文庫『男性滅亡』に収録。
ハルキ文庫『男性滅亡』に収録。
廣済堂文庫『赤い蝋人形』に収録。
筑摩書房より出版。
『明治波濤歌』中の一篇として、
河出文庫、筑摩書房より出版。廣済堂文庫『剣鬼と遊女』に収録。
出版芸術社『怪談部屋』に収録。
河出文庫『明治忠臣蔵』、また筑摩書房より出版。
廣済堂文庫『天国荘奇譚』に収録。
集英社文庫『天使の復讐』に収録。
ハルキ文庫『厨子家の悪霊』に収録。
講談社大衆文学館『忍法甲州路』に収録。
河出文庫『伝馬町から今晩は』、廣済堂文庫『ヤマトフの逃亡』に収録。
講談社ノベルズ『剣鬼喇嘛仏』に収録。
講談社大衆文学館『忍法甲州路』に収録。
河出文庫『明治忠臣蔵』、また筑摩書房より出版。
廣済堂文庫『長脇差枯野抄』に収録。
文春文庫として出版。
廣済堂文庫『天国荘奇譚』に収録。
出版芸術社『怪談部屋』に収録。
廣済堂文庫『切腹禁止令』に収録。
廣済堂文庫『赤い蝋人形』に収録。
集英社文庫『天使の復讐』に収録。
廣済堂文庫『赤い蝋人形』に収録。
廣済堂文庫『天国荘奇譚』に収録。