2001年12月
     
  1. 人の上に人あり、人の下にまた人あり(2001/12/25)

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人の上に人あり、人の下にまた人あり


  12月1日、皇太子夫妻に第1子が生まれた。
  1度の流産を経験しての高齢出産という厳しい条件にもかかわらず、母
 子ともに無事だった点については、素直におめでたいコトであると思う。
 だが、出産前後の過剰なまでの報道には、正直うんざりさせられた。
  若干遅きに失した感はあるが、今回はこのコトについてつらつらと書い
 てみようかと思う。


  皇室の人間独特の「表情のない笑顔」を貼りつかせ、皇太子妃がショー
 ファードリヴンカーで宮内庁病院に入院したのが、11月30日。それから、
 その翌日となった出産を経ての約1週間、マスコミの報道は「祝・内親王
 ご誕生」1色に染まった。

  分娩室に入った。
  陣痛が始まった。
  生まれた。
  親子ご対面。
  授乳した。
  名前が決まった。

  「たかが出産だろ?一挙一動にガタガタ騒ぎすぎだよ!」と思っていた
 が、もはや報道の加熱ぶりはとどまるところを知らない状態だった。NHK
 はともかく、土曜の夜7時〜9時のゴールデンタイムに、在京民放キー局
 のほとんどが皇室礼賛特番を組むに至っては、もはや「日本のマスコミの
 限界」を見た思いがして、頭痛がしそうになった。見るべきビデオもなか
 ったため、唯一レギュラー番組を放送していたテレビ東京にチャンネルを
 合わせたが(実際、この日のテレ東の視聴率はすこぶるよかったとの話で
 ある)。


  このテの特番やニュースで、何が気にいらないって、街頭インタビュー
 の映像がまずカンに障る。誰も彼もが、判で押したように

  「おめでとうございます」
  「無事生まれてよかった」

  のオンパレード。そういう回答を流さないと番組が成り立たないという
 事情も解るが、どうしても俺には「情報操作」にしか思われない。
 
   ホントは「なんだ、また女か」って思ってるヤツもいるだろ?
   俺みたく「いちいち騒ぐなよ、興味ねーよ」って思ってるヤツも
  いるだろ?

  それを、さも国民全てが喜んでいるかのように素材を加工し、愚にもつ
 かない映像と、3流評論家や泡沫タレントの下らないコメントを垂れ流す。
  ことほどさように「皇室報道」に関しては、どのマスコミもみんなして
 「タブーに触れる」のを恐れ、特別なモノとして持ち上げているようにし
 か思えない。

  そして、我々市民の間にも、「タブーに触れる」のを恐れる感覚は残念
 ながら存在しているように思える。
  戦前と違い、今でこそ「不敬罪」というモノはなくなったが、皇室に対
 して批判がましいコトを言ったり、悪態をつくようなコトをすると、過剰
 反応をする人間が、どこにでもいたりする。
  「皇族も、神ではなく人間である」との宣言がはるか昔に出されたはず
 なのに、結局は特別扱い。
  それで果たして、同じ「人間」であると言えるのだろうか?

   我々市民は、「彼ら」の下にいる。
   そして、「彼ら」は我々の上にいる。

  結局、今でもその構図は生きているのではないだろうか。


  どうしてこんなコトになっているのか、少しだけ考えてみた。
  思い当たるのは、

   「『上』から降りてくるモノをうやうやしくありがたがる」
   「重大なコトに限って、責任の所在を曖昧にしてしまいたがる」

  そんな日本人の民族的特性に起因しているのではないかという点だった。

  戦後間もない頃、昭和天皇(当時)が専用列車で全国を回り、市民との
 交流を図ったコトがあった。いわゆる「行幸」というヤツだ(最近ではこ
 の言葉もめったに使わなくなったが)。
  「アラヒトガミ」=天皇の名のもとに行われた戦争によって、住み慣れ
 た町を失い、家も財産も失い、家族すら失ったにもかかわらず、人々は天
 皇の行幸に涙を流し、その姿をうやうやしく推しいただいてひれ伏した。
 もちろん、中には天皇の戦争責任を問いただそうとした者もいるだろうが、
 セピア色した過去のニュース写真のイメージとして俺の中にあるのは、人
 々が天皇の行幸をありがたがる姿しかないのだ。
  そのイメージが、俺の持つ、先述の「民族的特性」に思いを至らせるの
 だ。


  似たような構造物として、イギリス王室が連想されるが、その立場はか
 なり日本とは違うように思える。
  イギリス王室は、数々のスキャンダルにまみれ、まるでその権威も地に
 墜ちたかのように思えるが、むしろ市民の間にその存在はしっかりと浸透
 し、リスペクトの念をもって受け入れられているような気がする。
  それに対し、日本の皇室は全くスキャンダルとは無縁(あっても報道管
 制を敷かれているのかもしれないが)だが、イギリス王室ほど親しみを持
 たれているような感覚がしない。むしろ、浮世離れした感が強すぎて、人
 間としてリスペクトの念を持てないのだ。
  結局ヤツらは、遥か雲高くに住まい、我々を見下ろしている、−そんな
 存在のように思える。


  だが、いきなり「皇室廃止」というドラスティックな手段は現実問題と
 して取りづらいであろう。
  なれば、皇室をすこしでも市民に近しい存在にするために、こんな方法
 はどうだろうか。

  ・苗字を与える(一般人と同じような名前になれば、少しは親しみ
   もわく?)
  ・「〜さま」という、特別な存在であることをにおわせるような
   呼称はやめる(「〜されました」とか「〜なられました」って
   いう言い方もしかり)
  ・選挙権も与えてみる(ヤツらは、俺らの税金で生かされてる身。
   税金の配分について、選挙を通じて考えさせるのもいいんじゃ
   ないか?)
  ・義務教育期間が終わったら、学習院以外の学校も選択肢として
   与える(行くかどうかは別として。世間は広がるかも)

  そうして、皇室と我々との垣根が低くなっていけば、ゆくゆくは過剰報
 道もなくなっていくのでは…とも思う。

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