2002年1月
     
  1. 天使も聖者もこの地球にはいない(その1)(2002/01/23)

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天使も聖者もこの地球にはいない(その1)


   死の淵から、
   絶望の底から、
   煩悶の日常から、
   ヒトを救うモノは何なんだろう。

  高校1年生の夏、生きているのがつまらないという気持ちになぜか漠然
 ととらわれ、ただ何となく「死のうか」と考えた。
  そして、自分の首を絞めてみたが、その息苦しさに耐えられなくなった。
 同時に、「死」というモノに対する恐怖を感じた。
  今にして思えばバカなコトをしようとしたモンだと思うが、その当時は
 きっと、「死」というモノを身近に感じていなかったからこそ、そのよう
 な愚行に及んだのかもしれない。
  だが、それから1年も経たないうちに、生命というモノの重み、−その
 意味を、俺は痛切に思い知るコトになった。


  15年前、−高1の冬休み最後の日。年賀状配達のバイトに行こうとする
 俺の目に飛び込んできたのは、

  「頭が痛い…、救急車を呼んで…」

  と訴えながら苦痛にうめく母親の姿だった。
  その状況が尋常なモノでないコトをようやく把握した俺は、慌てて救急
 車を呼んだ。近くの病院に搬送され、診察が行われる。
  その結果は、

  『動脈瘤破裂によるクモ膜下出血』

  というモノだった。
  即刻入院・手術が必要とのコトだったが、担ぎ込まれた病院には空いて
 いるベッドがなかったらしく、亀有にあるその病院の分院へ搬送され、そ
 こで入院するコトになった。
  搬送直後、開頭手術が行われ、他の動脈瘤の破裂を防ぐためのクリッピ
 ング(動脈瘤の根元を特殊なクリップで挟み、血流の圧力による破裂を防
 ぐ)が施された。

  だが、術後に医師から伯母にたいして告げられた内容は、絶望的という
 のを通り越し、絶望そのものでしかない内容だった。曰く、

  「あちこちに動脈瘤ができてしまっていて、とても全てに施術はで
   きない。次に再発したら、その時は覚悟していただきたい」

  …まさに『最後通牒』だった。
  それでも俺は、昏々と眠り続ける母親の姿を見ながら、一縷の望みを捨
 てきれなかった。

  「元気になったら、もっとちゃんと言うコトをきこう」
  「大学なんか行ったら経済的に負担になるかな。卒業したら働いて、
   俺が支えなきゃいけないな」

  そんなコトを考えながら。


  その一縷の望みも、それから半月後に見る影もなく打ち砕かれた。
  ちょうど日付が変わろうかという頃、伯母からの「容態が悪化した」と
 の電話が入った。終電間際の電車を乗り継ぎ、病院へ向かう。
  たどり着いた時、もう母は「モノ言わぬひと」だった。助かる見込みが
 ないからというコトで、生命維持装置を外すコトに父親が同意した後だっ
 たのだ。

  その時どうしていたのか、悲しいことに今ではよく思い出せない。ただ、
 その事実が信じられなくて、泣くコトすらできなかったような気がする。


  手を伸ばすまでもなく、いつもそこにあった。
  それが、当たり前だと思っていた。

  でも、もう当たり前ではなかった。
  母は逝ってしまった。注いでくれた愛情と一緒に。


  通夜・葬儀と進むにつれ、母がいなくなった実感は時間の経過とともに
 こみ上げてきた。すでに別居状態だった父の代わりに、形ばかりの喪主を
 俺は務めた。
  位牌を胸に、会葬者への挨拶に臨んだその時、全ての実感は、動かしよ
 うのない現実となって、俺にふりかかってきた。
  その何年か前に祖母が死んだ時ですら流れなかった涙が、とめどもなく
 頬をつたった。

  声をふりしぼって、精いっぱいの虚勢を張って挨拶のことばを口にしな
 がら、その一方で俺は深い悔恨と、強い呪詛の気持ちを抱えていた。


  「俺が全然いうコトきかなかったから、ストレスがたまったのかな。
   俺のせいで、こんな病気になって死んじゃったのかな。
   …もっとちゃんと、いうコトきいていい子にしてればよかった…」
  「何で母さんが死ななきゃならなかったんだ。他に死んだ方がいい
   ような人間はいくらでもいるじゃないか!」
  「もし“神様”がいるんなら、何で母さんを助けてくれなかった?
   救われるべき人間を救ってくれない神なんて、いっそいない方が
   マシじゃないか!」
  「…そうか、“神様”なんていないんだ。いるんなら、絶対母さん
   は助かったはずだ」
  「もうこれで、俺を愛してくれるひとはいなくなっちゃったんだな。
   もう自分で生きてかなきゃいけないのかな…」


  「神様はいる!」などとは言わなかったけど、サンタクロースだって俺
 は信じていた。
  母の愛に包まれて、俺は純粋なコドモでいられた。


  でも、その日から、俺は何も信じなくなった。神も仏も、…自分以外の
 全てを。きっと、自分を−こんな俺を愛してくれるひとが、もう誰もいな
 くなってしまったという絶望だったのかもしれない。

  ただ、その一方で、生きたくても生きられず、突然の病気で生命を奪わ
 れた母の無念を想うと、絶望してばかりはいられなかった。


  神様なんて信じない。
  そんなモノはどこにもいない。
  俺は母さんの分まで生きる。
  カッコ悪くても生きる。
  いつか幸福になって、その姿を母さんに見せるために。
  そのために、自分だけを信じて。


  悲しみと絶望の中で、母は自らの生命を賭して、『生きる』という行為
 の意味を、俺に教えてくれたように思った。

  そして、俺はふたつのモノを否定するようになった。


  『神』という曖昧な存在と、
  自ら生命の灯を消すという愚かな行為を。


  欠落したココロに巣食う絶望を払拭するために、俺は生きようと思った。
 “何か”にすがっても救われないなら、自分で這い上がるしかないのだと、
 −そう信じて。


  あの日、俺の中で何かが壊れた。
  そして、俺の中で何かが変わった。

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