2001年2月
- 『RACING』とは?(2001/02/19)
- 法と犯罪と人権と(その1)(2001/02/27)

WGPフリークを自認する人間ならば、避けて通れない「事件」がある。
1998年、シリーズ最終戦・アルゼンチンGP、250ccクラス。…そう、最終
ラップの最終シケインで、ロリス・カピロッシ(アプリリア=当時)が、
2位を走る原田哲也(アプリリア)を強引にオーバーテイクしようとして
激突。原田は転倒→コースオフしてリタイア、カピロッシはそのまま2位
でゴールしタイトルを獲得した、あの「事件」だ。
チャンピオンを目の前にしながら、一瞬にして被害者となってしまった
原田は、一躍「悲劇の主人公」として世界中の同情を一身に集めた。一方
のカピロッシは、その行為を「卑劣」と断罪され、ダーティーなチャンピ
オンというレッテルを、否応なしに貼られてしまった。特に、被害者・原
田の母国でもあるこの日本では、
「そこまでしてタイトルが欲しいのか?」
「わざとぶつかりやがったな、てめぇ!!」
「お前は全てのWGPファンを敵に回したぞ」
「ミサイル野郎!!」
…と、半ばヒステリックにも思える罵詈雑言が、あらゆるメディアを経
由してカピロッシに投げつけられた。そして、あれから2年以上が経った
今でも、カピロッシの行為は断罪され続けているのが現状だ。
しかし、俺は全く違う見方をしていた。その時点では確かにショックで
はあったが、一方的に原田に肩入れする気にはならなかった。なぜなら、
俺にはカピロッシがわざとぶつかったとは思えなかったからだ。
このレースも、原田とカピロッシにバレンティーノ・ロッシ(アプリリ
ア=当時)を加えた3人でトップを争うという、このシーズン恒例となっ
た展開であった。カピロッシと原田が何度も首位を入れ替え、ロッシが後
方から追う展開だったが、最終ラップに業を煮やしたロッシが首位を奪う。
その直後、コース中ほどの高速コーナーで原田がカピロッシをパスして2
位に。このままゴールすれば、ポイントは220ポイントで並ぶが、優勝回数
の差で原田がチャンピオン…という状況。だが当然、カピロッシとて5年
ぶりに巡ってきたタイトル獲得のチャンスを逃すワケにはいかない。
もはやオーバーテイク可能な場所は、最終シケインだけ。戴冠のために
はそこで仕掛けるしかない、…カピロッシならずともそう考えるだろう。
しかも原田は、ブロックラインを取るコトもせず、通常のレコードライン
でシケインに進入して行く。カピロッシはその考えを実行に移し、そして
原田のインにマシンをねじ込む。
その結果がどうなったかは先述の通りであり、もはや衆目の知るところ
である。
この「事件」の報道においては、カピロッシが原田のマシンの横っ腹に
わざと突っ込んだかのような報道のなされ方がほとんどであった。だが、
VTRで改めて検証してみると、2台が接触したまさにその瞬間、カピロッシ
のマシンはホイール半分ほど原田より前に出ているのだ。もし故意に衝突
したのであれば、フロントホイールから原田めがけて−文字通り「ミサイ
ル」の如く突っ込んでいったのではなかろうか。あの映像からは、カピロ
ッシには原田をオーバーテイクする意志があったというコトが見てとれる。
つまり「故意ではない」、−イコール「レーシングアクシデントにすぎな
い」というコトだ。
そして、先述したように、原田は全く通常のレコードラインをトレース
しながら最終シケインをクリアしようとした。が、この点を問題にしてい
る人間は全くいない。タイトル争いの緊迫したあの状況を考えれば、カピ
ロッシがあの場所で仕掛けてくるであろうコトなど、俺のようなシロート
にすら想像がつくというモノだ。にもかかわらず、原田はブロックライン
を選ばなかった。そしてインを許し、接触してしまった。
俺に言わせれば、あれは原田の「甘さ」である。タイトルを獲れる位置
にいるにもかかわらず、状況を読めていなかったのではないかと疑わざる
を得ないのだ。あそこで原田がブロックラインを選択し、その結果として
カピロッシが転倒したとしても、恐らく誰も原田を非難するコトはないで
あろうと思われる。それが、タイトルを獲るためにはやむを得ない選択で
あり、「レース」であるからだ。
にもかかわらず、形は違えど同様の「選択」をしたカピロッシは、轟々
たる非難の矢面にさらされるハメになった。…それを不公平とは言わない
のか?
カピロッシが非難されるなら、原田の甘さも問題にされて然るべきだし、
原田は悪くないと言うのならカピロッシも悪くはない、−俺はそう思って
いる。
俺は、雑誌や新聞の読者欄における「カピロッシ断罪」を目にするたび
に、苦々しい気分にさせられた。そこに、「ニッポン!チャチャチャ!」
的な、偏狭にして古色蒼然とした『似非ナショナリズム』を感じたからだ。
少なくとも、そういった各種批判文からは、「被害者が“日本人”だから
ヒステリックに騒いでる」という印象しか感じられなかった。当時、WOWOW
の実況解説で、その前年にF1最終戦(ヘレス)で、M・シューマッハーが
J・ビルヌーブにわざとカブせてタイトル獲得を阻止しようとした件を引
き合いに出して「カピロッシは全ポイント剥奪にすべきだ」などと公正さ
のかけらもない感情論を口走った八代俊二と同レベルの「視野狭窄」とで
も言うべきモノだ。
実際、「こいつら、仮に被害者が原田じゃなくて(オリビエ・)ジャッ
クや(ラルフ・)ワルドマンだったらこんなに騒いだりしないだろ。逆の
状況になってれば、どうせ原田を擁護するんだろ?」と感じた俺は、そう
いった論旨の投稿を『ライディングスポーツ』誌に出した。が、当然のよ
うに、俺に同調する人間などいなかった(ハナから期待もしていなかった
が)。
「日本人が日本人ライダーを応援するのは当たり前だ」
「あれが『アクシデント』なら、何をやっても許されるようになる」
「あなたはあれで仮に原田が死んでたとしても悲しまないんでしょ?」
…俺に向けられた返答の数々である。予想していただけに驚きはしなか
った。むしろ「この程度のモンか、やっぱ」と、底の浅いメンタリティを
改めて実感しただけだった。何しろ、その『ライディングスポーツ』誌の
編集長自らが「レースは格闘技ではない。『ルール』があるのだ」などと
のたまうに及んでは、失笑を禁じ得なかった。
格闘技で選手が死なずに済んでいるのは、もちろんルールがあるからだ。
そして、レースにもルールがあるコトくらい解っている。だが、そのルー
ルの中で起こってしまった事故については、我々ファンはその全てを受け
入れるべきではないのだろうか?たとえ、それが心情的に納得のいかない
モノであったとしても、だ(無論、ルールから外れた行為は厳しく処罰さ
れるべきであるし)。
アスリートたちは、全て納得ずくで身体を張り、生命を張って闘ってい
る。まず我々がなすべきは、彼らの闘いを全身全霊をもって注視し、その
名誉をたたえるコトではないのだろうか。

先進国の中でも、治安のいい国とされる日本。事実、我々はさまざまな
法律によって保護されている…はずである。しかし、立ち止まって考えて
みると、その法律は必ずしも善良な市民を守るモノではなく、むしろ市民
に危害を加える者を守るモノであるケースが多い。…そう、あまりにも。
ここ数年、これまでの「常識」では想像だにつかなかった凶悪犯罪や猟
奇犯罪が増えている。しかも、その犯人が未成年であるケースが非常に目
立つ(報道のしかたにも起因しているのかもしれないが)。最近では、昨
年の西鉄バスジャック事件が挙げられるが、これをきっかけにして少年法
が改定されたのは、まだ記憶に新しいところだ。
しかし俺にしてみれば、少年法などいくら改定しても手ぬるいと言わざ
るを得ない。特に最近の未成年の凶悪犯罪は、「自分は少年法で『保護』
されている」というのを逆手にとった、いわば確信犯的なモノが多いよう
に思える。そんな状況下で、少年法はヤツらを裁く上での足かせになって
はいないだろうか。
未成年の凶悪犯罪は、それがどんなに残忍極まりない犯罪であっても、
死刑判決を下されるコトは殆どない(俺の知る限りでは、過去に1件だけ
例外があったが)。栃木県の少年リンチ殺人においても、主犯である19歳
の男は無期懲役で刑が確定したし、山口県光市で18歳(犯行当時)の男が
起こした主婦強姦殺人にしても、山口地裁の下した判決は無期懲役にすぎ
ない(控訴審の結果についてはこちら)。
自らの本能に任せて他人の生命を蹂躙し、それでいて少年法の傘の下で
のうのうと過ごそうとしているような、そんな「人間の顔をした鬼畜」ど
もに、更正と社会復帰を目的とした少年法をあてはめようとするコト自体、
あまりにもムリがあるし、おとなしくしていれば10年ちょっとで模範囚と
して出所できてしまうような「無期懲役」などという軽い刑で済ませてし
まうのも、被害者の遺族や関係者の心情を考えたら、到底納得できるモノ
ではない。だいたい、それだけのコトをしでかすようなヤツに、未成年も
クソもないはずだ。
以前、イギリスで乳児を殺害した6歳の幼児に終身刑が言い渡されたと
いう事例があった。俺は、イギリスの法律や、その判決が下されるに至っ
た背景は知らないが、「罪は罪として年齢に関係なく等しく贖うべし」と
も解釈できるこの判決を多いに支持している。この国でも、大罪を犯した
者は、その年齢に関係なく、等しく裁きを受け、贖罪の義務を果たすべき
ではないだろうか。
そういう観点から、俺は少年法など全廃してしまうべきだと思っている。
どうしてもそれがムリだと言うなら、せめて刑事罰の対象を「小学生以上」
にすべきだと考える。神経の麻痺しきった人間が増殖し続ける昨今、ヘタ
に有期刑などの温情を下しても、「あ、この程度で許されるんだ」程度の
感覚しかヤツらは持ち得ないのでは…というのが俺の思うところだ。
自らの行為の愚かさと、人間の生命の重さに思いをいたすためには、犯
した罪を徹底的に背負わせることが必要なのだと、俺は断言したい。もし
俺が裁判官(or検察官)なら、先述の2つのケースにおいて、何のためら
いもなく極刑を選択したいところである。
この『法と犯罪と人権と』はシリーズとして、折にふれ取り上げていき
たい。いずれの場合においても結論はひとつでしかないが、その切り口は
「少年法」だけではなく、まだいくつかあるからだ。

