2001年7月
     
  1. ココロザシノアリカ(2001/07/18)  
  2. 冷血リアル(2001/07/28)

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ココロザシノアリカ


  7月12日に、参議院選挙が公示された。
  今回の選挙は、小泉純一郎及びその「改革路線」が信任を受けるかどう
 かが争点とされているが、俺にはどうもそうは思えない。
  それと言うのもひとえに、今回から比例代表選挙区に導入された「非拘
 束名簿方式」のせいだ。


  これまで、比例代表区は、候補者個人の名前ではなく、政党/団体の名
 前を記入する「拘束名簿式」だった。それがなぜ、個人名で投票しても政
 党に票の入る非拘束名簿式に変わったのか。−もはや俺がここで言うまで
 もないが、ひとえに「与党のゴリ押し」である。
  首相の座にいるコトの重みをはき違えた稀代のオタンコ宰相・森喜朗を
 神輿のてっぺんに担ぎ続けたコトにより、2000年の総選挙で必ずしも芳し
 い結果を得るコトのできなかった自民党(&公明党・保守党)は、翌年の
 参議院選挙を何としても勝ち抜くため、至って姑息な手段を弄するコトに
 した、…と俺は考える。
  きっと、国会の議場のみならず、議員会館や閣議の席上、あるいは(と
 いうよりもっぱら)夜更けの高級料亭で、こんな会話でも交わされていた
 に違いあるまい。

  「参院選が始まるまでに森を切ろう」
  「なら、有権者ウケのいい小泉を担いで票を稼ごう」
  「それに、『自民党』という名前に有権者はアレルギー反応を起こ
   すだろうから、比例区も政党名じゃなくて個人名で投票できるよ
   うにしよう」
  「それで有名人でも担ぎ出せば、有権者なんてバカだから、こっち
   へ簡単にコロッとなびいてくれるだろう」

  …大方、こんな感じではなかろうか。


  そして、現在の選挙報道を見る限り、その思惑の通りにコトは運んでい
 るように見える。ひとたび小泉が演説に立てば、そこには黒山の人だかり。
 「佐渡へ佐渡へと草木もなびく」どころの騒ぎではない。
  さらに、小泉ひとりの人気だけではまだ安心できないのか、大仁田厚や
 舛添要一といった、それぞれの年代にウケのいい有名人候補者を取り揃え、
 そのネームバリューだけで有権者を釣ろうとしている。少なくとも俺には
 そうとしか解釈できないし、それが腹立たしくて仕方がない。

  だが、もっと腹立たしいのは、そんな自民党に対抗する勢力が、我も我
 もとばかり、有名人候補者を揃えて、自民党と同じ手法で票を稼ごうとし
 ているコトだ。

  民主党 :大橋巨泉
  社民党 :田嶋陽子
  自由連合:佐山 聡(初代タイガーマスク)

  この他にも、元スポーツ選手やら芸能レポーターやら、有象無象の連中
 が集票のための「人寄せパンダ」として、各政党の比例名簿に名を連ねて
 いる。口を開けばもっともらしい意気込みが出てくるが、果たしてそれが
 本心からなのか、俺には甚だ疑わしい。
  もちろん、本当に「少しでもいいから社会を動かす」という志をもって
 立候補しているのであれば、それは大変いいコトであり、何ら批判にはあ
 たらない。だが、こうも乱立傾向だと、その「志」がどうにも見えてこな
 いのだ。

  「おまえら、本当は自分が『人寄せパンダ』だって解ってるんじゃ
   ないのか?それを認めたくなくて、もっともらしい台詞を口走っ
   てるだけなんじゃないのか?」

  どうしても、そう問いかけずにはいられない。


  そして、TVで頻繁に目にする政見放送や政党のCMは、どれもこれもイメ
 −ジ戦略に走ったり、他党をこき下ろしたりというモノばかり。そこには、
 国民生活のために自らが果たしてきたリザルトも、これから我々に提示す
 べきビジョンもない。
  そこにあるのは、半月先の些少な欲求だけである。

  この国を、−「日本」という名の船の舳先を、荒海ではなく、少しでも
 平和で安全な方向へ進めるために、我々有権者にすぐできるのは政治家を
 選ぶコトである。そしてそれはすなわち、「政治を選ぶ」というコトに他
 ならない。
  だが、その「政治」がこんな状況では、我々はどうすればいいと言うの
 だろう。この船の舵を、いったい誰に預ければいいのだろう。


  今回、共産党を除く殆どの政党が、比例区に有名人を擁立してきたコト
 で、結局政治家は有権者を軽く見ているというのがはっきりしたと言って
 いいだろう。
  俺は、政治家に問いたい。


  「おまえらを選んだのは誰だ?

   おまえらが軽んじ、バカにしている『有権者』に、おまえは選ば
   れたんじゃないのか?

   ナメた考え持つのもたいがいにしとけよ!」


  これを書いている時点で、投票日まであと10日あまり。
  ほんの少しの期待と、はちきれそうなほどの怒りをもって投じるべき1
 票。
  それを誰に/どこに投じるべきか、

  まだ答えは見えない。

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冷血リアル


  シリーズ初のプレステ2用ソフトとして、『FINAL FANTASY X』がリリ
 ースされ、4日間で200万本弱を売り上げたという。
  既に知っての通り、シリーズ第7作でスーパーファミコンからプレステ
 にクラ替えして以来、FFはその「たかがゲーム」の枠を大きく逸脱したグ
 ラフィックの精緻さで、多くのファンを虜にし、また新たなファンを獲得
 し続けてきた。
  実際、俺もあのグラフィックはスゴいと思うし、知らない人間が何の先
 入観もなしにちょろっとだけ見たら、実写かCGか区別がつかなくても何の
 不思議もなかろうとは思う。
  だが、それはあくまで表面的に「リアル」なだけでしかない。むしろ、
 俺としては、グラフィックが精緻を極めれば極めるほど、そこには「ウソ
 くささ」が強くにじんでくるようにしか思われない。言いかえれば、リア
 ルさを追求すればするほど、リアルではない−ツクリモノであるコトが際
 立つのだ。


  FFシリーズに限らず、最近はあらゆる場所でCGを使用した広告等が目立
 つようになってきた。俺が通勤で毎日使っている京王電鉄の駅売店のイメ
 ージ広告にも、最近ではSHADEで描いたとおぼしきCGのオネーチャンが出
 演(苦笑)している。
  それは、何度見ても所詮CG。いくらリアルでも、リアルではない。何故
 か。

  「体温」を感じないからだ。


  「…そんなの当たり前じゃねーか!」という声も聞こえてきそうだが、
 俺にとっては、それこそがリアルかどうかを決める上でもっとも重要なポ
 イントなのだ。
  最近のTVゲームやCG広告は、手を尽くして作りこみを極め、細かなひと
 つひとつの動きを実物の人間に近づけようと(あるいは同じにしようと)
 するあまり、ココロの琴線に訴えかける「メンタルな何か」に欠けている
 ようにしか思えないのだ。
  宮崎駿のアニメを見ていると、現代CGキャラに足りないモノが何である
 のか、それが顕著に解る。色塗りにCGを活用した最新作『千と千尋の神隠
 し』に限らず、『もののけ姫』・『紅の豚』・『魔女の宅急便』、遡れば
 『ルパン3世・カリオストロの城』まで、氏の描くアニメキャラクターに
 は、CGと比較しても遜色のないリアルな動きのみならず、各キャラクター
 から感じ取れる「体温」が確かにある。
  それはひとえに、ストーリーやキャラクター設定がしっかりしていると
 いうコトもあろうが、最大の要素として、宮崎氏がそれだけ「思い入れ」
 をもって製作にあたっているからなのではなかろうかと俺は思う。そして、
 最近のCGにはその「思い入れ」を感じ取れない。
  モノに生命を吹き込むのは、最終的に「感情」だ。CGの作り手がそれを
 理解しない限り、CGは「真のリアルさ」を得るコトなどできないと俺は思
 う。


  だが、いくら「思い入れ」をもって製作するべきといっても、それが邪
 なモノではどうにもならない。俺がCGキャラを受け入れられない最大の理
 由がそこにある。
  それは、現在のCGキャラ(特に女性キャラ)が、

  「世間のヲタク連中の勝手な理想像を具現化したモノ」

  にしか見えないからだ。特に“CGアイドル”として売り出されているモ
 ノに対して、その感覚を強く感じる。
  目・鼻・口などの造作や、首から下のプロポーション、そしてちょっと
 した一挙一動の描き方には、時として実物の人間に似せる努力よりも、ク
 リエイター(そんなエラそうな言い方が相応しいかどうかは別として)の
 思い描く理想的虚像(=妄想と言ってもよかろうか)が大きく反映されて
 いるように感じられる。
  その顕著な例が、世界水泳選手権中継(テレビ朝日系列)のCMキャラの
 CG女だ(名前があるらしいが、そんなモノは忘れた!)。何しろ、

  「鍛えてる水泳選手が、そんなにウエスト細いわけなかろうが!」
  「肩だってもっと筋肉で盛り上がってるはずだろ?」
  「水からあがった直後の髪の毛がそんなにパラパラ動くか、ボケ!」

  …と、ツッコミどころ満載のていたらく。そこには、作り手の崇高な意
 志はみじんも感じられないばかりか、

  「こんな女のコがそばにいてくれたらいいなー、ぐへぐへ」

  と、鼻の下をだらしなく伸ばしながらPCのモニターに向かっている小太
 りなヲタクの寒い顔しか思い浮かんでこない。一方的な決めつけかもしれ
 ないが、現実世界の女性とコミュニケーションがとれないから自分の世界
 で理想の妄想とよからぬ関係を結ぼうとする浅ましさをそこに強く感じる。


  ひところ、アニメヲタク(特に少女キャラに萌えてるヤローども)を称
 して「ニジコン(二次元コンプレックス)」と呼んだコトがあった。だが、
 今どきのアニメキャラ/CGキャラヲタ連中は、それより遥かにタチが悪い
 ように思える。まるで、現実世界の人間が持つ「体温」を、ジャマなモノ
 として敬遠しているようだ。
  きっとその結果が、今の流行りである「CG女」なのだろう。自分に不都
 合なモノを一切備えていない、自分の理想だけで構築できるパートナー。
 ぶっちゃけた話、ダッチワイフと同じようなモノと言えよう。

  そんなモノを世に問う人間、そんなモノで金儲けする人間、そしてそん
 なモノに心奪われうつつを抜かす人間。
  −俺に言わせりゃ、どいつもこいつも「性的不全なヤローども」にすぎ
 ないし、そんなヤツらに生存価値はない。


   見つめる瞳の輝き。
   交わすコトバの響き。
   つないだ手の温もり。


  ほんとうに感じるモノは、いつも“Reality of Real”の中にしかない。

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