2001年6月
     
  1. 法と犯罪と人権と(その4)(2001/06/07)  
  2. 法と犯罪と人権と(その4/Rev.2)(2001/06/19)  
  3. 法と犯罪と人権と(その5)(2001/06/30)

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法と犯罪と人権と(その4)


  前回のこのシリーズにおいて、「次は『死刑の方法』について取り上げ
 たい」と書いた。今回は、その予告通りの内容としたい。
  ただし、その内容が内容だけに、残酷物語が苦手な人には読むに堪えな
 いモノとなるだろう。これからこの文章を読まれる方は、その点を心して
 いただきたい。


  国によって、死刑の方法も様々である。この日本では絞首刑によって死
 刑が執行されるが、これが俺には今ひとつ納得いかない。
  例えば、同じ「殺人」であっても、その殺害方法はケースバイケースで
 ある。意図的に車で轢き殺したり、刃物での殺害、あるいは殴殺・毒殺・
 絞殺…。その全てに対して、執行される刑が等しく絞首刑というのが、納
 得いかないのである。

  以前も書いたが、死刑にするのであれば、被害者が受けたのと同じ苦痛
 や恐怖を、犯人にも体感させる必要があると、俺は思っている。殺される
 間際のその瞬間に、被害者がどのような精神状況に置かれたか、それを加
 害者に徹底的に理解させ、刑執行のその瞬間に、大いなる恐怖・後悔、そ
 して自責の念を抱かせてやりたいというのは、被害者の遺族や関係者にし
 てみれば、いたって当然の想いであろう。
  そんな遺族(あるいは関係者)の想いを実現させるためには、加害者が
 犯したのと同じ方法−あるいはそれ以上の方法で死刑を執行すべきである。
 以下にいくつか、その実行例を示してみたい。


 1.麻原彰晃の場合
   コイツの場合は、手を染めた犯罪の数が多すぎて、何度死刑を実行し
  ても足りないという問題があるが、最大の犯罪というならばやはり「地
  下鉄サリン事件」であろう。日本最悪のテロリストであるこの男に対し
  ては、やはりこんな↓方法で死刑を執行すべきだ。

   1)まず、VXガスを静脈注射にて投与
   2)続いて、液状サリンを経口投与
   3)心停止を確認したら、高温で焼却し、その骨粉を人目につかない
     ところへ散布

   なぜ、3)の手順を踏む必要があるのか。それは「目黒公証役場事件」
  の経緯を知っている方なら察していただけるのではないだろうか。この
  事件で殺された假谷さんは、殺害された後に灰になるまで焼かれ、本栖
  湖に捨てられたのだ。遺族の心情を汲むなら、これでも恐らく足りない
  のでは…とも思う。

 2.多くの殺人犯の場合
   当然のように、このようなケースの場合は、そいつが実行したと同じ
  手段にて刑を執行されるべきであろう。できるなら、手段は同じであっ
  ても、10倍返しにして刑となすべきだ。例えば…、

   青龍刀を振り回した中国人マフィアなら、青龍刀で首をかき斬る。
   意図的に車で人を轢き殺した人間なら、10tダンプで踏み潰す。
   薬物で殺害したのなら、同じ薬物をじわじわと致死量まで投与。
   銃で人を撃ち殺した人間は、ガトリングガンで全身をハチの巣に。
   殺害方法が撲殺であれば、鉄パイプで顔の形がなくなるまで殴る。

   人間の生命を、自らの利益のためだけに奪うというコトは、それだけ
  のリスクを伴う行為なのだというコトを、最期の瞬間にその身をもって
  理解させてやるのは、当然のコトではなかろうか。

 3.性犯罪者の場合
   前回も書いたが、強姦犯は無条件で死刑にすべきだと俺は思っている。
  この世の中で最も卑劣極まりない犯罪だからだ。そんな犯罪を犯す鬼畜
  には、それなりの報いをこそ与うべきである。俺ならこうするつもりだ。

   1)男性器を切除する
      もちろん、サオもタマもである。できれば、単純に切り落とす
      のではなく、万力のようなモノで押し潰すのがいい。「犯罪の
      モト」を、まずは手始めに断っておくべきだ。
      これで絶命したら、そのまま手順3)を実行である。
   2)肛門にビール瓶をブチ込む
      1)の手順を踏んでもなお生きているようなヤツに対しては、こ
      の手順を実行したい。
      これをもって「残酷だ」などと言う人間に対しては、俺はこう
      言いたい。
      『その瞬間、被害者がどんな恐怖と屈辱を感じたか、少しで
       も思いをめぐらしたコトがあるのか?』
      と。
   3)最後は頭を押し潰す
      かくなる鬼畜の所業を考えついたその脳ミソは、医学研究用の
      検体にすらするべきではない。跡形も残らないように始末する
      べきである。
      残骸はどこかの海にでも撒いてしまえばいいだろう。鬼畜に墓
      など必要ない!

  ともかくも、この国は加害者に対して必要以上に甘く、被害者の権利は
 どこかに忘れ去られてしまっている。上記の各手順も、オプションとして
 被害者の遺族や関係者が実行できるようにするべきであると考えている。


  この文章を読んで、

  「犯罪者といえども人間。彼らの人権はどうなる?」
  「あまりに残酷ではないのか?死刑そのものが非人道的なのに」

  などと口走る、アムネスティの回し者のようなエセ人権主義者がもしい
 たら、くどいようだが俺はこう言わせてもらう。


  『ならば、被害者の人権はどうなる?むざむざ殺された、あるいは人
   生を台なしにされた人々の人権は?そのような犯罪を犯したヤツは、
   もはや人間ではない。鬼畜だ。鬼畜に人権を与える必要が、いった
   いどこにあるんだ?

   寝言は寝てからほざけ!!』

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法と犯罪と人権と(その4/Rev.2)


  学校というクローズド・エリアですら、絶対に安全ではないという悲し
 むべき事実を世間につきつけた、大阪・池田小事件。何の罪もないのに、
 その生命を奪われた子供たちの冥福を祈りたい。

  この事件の犯人・宅間守の過去から現在に至るその所業をして、死刑に
 すべきだと考える方が殆どであろうと思う(死刑そのモノを非人道的など
 とホザく、一部のエセ人権主義者はともかくとして)。
  しかし、この事件に関しては、犯人・宅間を簡単に死刑にしてしまうワ
 ケにはいかないと俺は考える。
  「この前言ってたコトと違うじゃねーか」と言うのは早計。本来ならも
 ちろん死刑が当然だが、今回は犯人の言動を考えると、あえて死刑にしな
 いコトも選択肢として考える必要があると思えるからだ。


  「何もかもイヤになって、死にたかったができなかった」
  「ひとりで死ぬのは耐えられなかった」
  「自分がただ死んでも、世間が喜ぶだけだから、元妻を困らせてやろ
   うと思った」
  「インテリの子を殺せば、死刑になると思った」
  「公務員として平和な暮らしができると思ってたのに、毒物混入事件
   のせいで俺の人生はメチャクチャになった」

  逮捕後、宅間が口にした供述の一部である。この自分勝手な考えに、俺
 は激しい怒りを覚えた。
  もともと、川西での毒物混入事件も、自分でやったコトなのに、それを
 さも他人のせいのように逆恨みし、しかもそれが原因で世間から疎外され
 たのすら、自分のせいではないとばかりに主張だけを声高に叫ぶ。
  そして、うまくいかない人生から逃げ出すために「死にたい」などと言
 ったりするが、ひとりで死ぬほどの度胸(多少語弊はあるが…)は持ち合
 わせていないから、誰かを道連れにしようとする。かと思えば、罪から逃
 れるために精神病を装い、我が身の保身のためなら法律の勉強(あるいは
 自分に都合のいい解釈)も厭わない。
  そんな人間の「死刑にしてくれ」などというムシのいい要求を、わざわ
 ざ受け入れてやる必要がどこにあるのだろう。これで宅間を死刑にしたと
 ころで、ヤツは笑顔を浮かべながら「俺の要求が受け入れられた」とばか
 り、喜んで刑を甘受するだろう。俺には、それが我慢ならないのだ。


  コイツだけは、死刑にすべきではない。あえて終身刑にし、刑務所の中
 でじわじわといたぶるべきである。このような確信犯的キチガイの「死に
 たい」などというくだらない欲求をのむ理由は、どこにもないはずだ。

  まず、刑務所に放り込んだら、密かに拷問を行い、精神的・肉体的にゆ
 っくりと追い詰める。
  体力が消耗し、死にそうになったら、あらゆる治療方法を講じて、徹底
 的に延命措置を施す。もし、耐えられなくなって自殺しようとしてもそれ
 を阻止できるように、独房よりも雑居房の方がいいかもしれない(とにか
 く監視の目を光らせておくのだ)。
  何十年もたって、老いて死が近くなっても、ひたすら延命治療を続け、
 簡単には死なせない。

  ひとりじゃ死ねないから他人を巻き添えにするようなクソ野郎に対して
 は、このくらいの見せしめ的な刑を執行してもいいのではないだろうか。
 ただ、このような犯罪者の延命のために税金を使うというのもよからぬ話
 なので、その資金は許永中や、そごうの水島のような、金に汚いジジイど
 もに供出させるのがいいのではないかと思う。


  遺族の心情を鑑みたら、死刑にすべきであるのは当然だ。だが、「死に
 たい」と望む犯人に死刑を執行するコトは、犯罪者にわざわざ人権を与え
 るコトにつながってしまう。
  犯罪者を犯罪者として裁くためには、ケースによってあえて死刑を選択
 しないというのもアリではないか、−今回の事件で、俺が考えたコトであ
 る。

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法と犯罪と人権と(その5)


  今月は、3本全てが「法と犯罪と人権と」シリーズとなってしまったた
 め、読んでくださっている数少ない方々にもいい加減飽きられてしまって
 いるのではないかと思ったりする。だが、今回の話は、このタイミングで
 あえて取り上げたいと思ったのだ。


  昨年の12月30日未明、その凄惨さで、東京のみならず日本中を恐怖と怒
 りに震わせた事件がある。そう、『世田谷一家4人殺害事件』だ。比較的
 治安もよい閑静な住宅街で起きた事件であることのみならず、俺にとって
 は−というより、我が家にとってはシャレにもならない事件だった。とい
 うのも、事件の現場である宮沢さん宅は、俺の住むアパートからバイクで
 わずか5〜6分のところにあったからだ。

  当初は遺留品も多かったことから、犯人がすぐにつかまるかと思われた
 が、その遺留品が「特徴のないありふれた大量生産品」ばかりだったコト
 もあってか、半年経った今でも犯人は捕まる気配がない。これほど社会的
 影響の大きい事件だけに、所轄である成城警察署も手をこまねいているワ
 ケではないのは解るが、なぜに今に至るまで犯人を逮捕できないのかと思
 うと、付近の住人であるコトを差し引いても、苛立ちはつのるばかりだ。
 一刻も早く犯人をとっ捕まえて、我々市民に安眠できる環境を与えてもら
 いたいと切に思う。


  だが、多くの人々の記憶から、この事件が消えかかり始めているのも、
 残念ながら事実ではなかろうか。ちょうど発生から半年の節目にあたるコ
 トもあって、6/29の「ニュースステーション」では特集を組んでいた(残
 念ながら見られなかったが)。
  しかし、こうした事件等は、いくらか時が経つと、節目にあたる時にし
 か人の口の端にのぼってこなくなる傾向にある。中には、その節目ですら
 忘れてしまう者もいる(自分の誕生日すら忘れてしまう人間がいる世の中
 だ、それも無理からぬ話か)。
  時効間近になってしまった「朝日新聞阪神支局襲撃事件」、あるいはオ
 ウムの犯罪と目されてやまない「警察庁長官狙撃事件」。いずれも、常日
 頃は忘れ去られているような気がする。そして「それでいいの?」と俺は
 思ってしまうのだ。

  常にアナウンスされるのも、またそれは鬱な気分にさせられてしまうだ
 ろうから無理であるとも思う。だが、決して「節目」だけではなく、折に
 ふれて人々の意識を喚起するコトは、必要なコトではないのだろうか。


  人は「忘却の生き物」である。だからこそ、忘れないためには何ができ
 るか、何をするべきなのか、考える必要があるのではないだろうか。自分
 とてそれほど偉そうなコトを言えた立場ではないが、そう考える。


  忘れなければいけないモノ
  忘れてはいけないモノ
  忘れられないモノ
  忘れたいモノ

  それを混同してしまわないためにも。  

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