2001年9月
     
  1. Fighting−それは誰のため−(2001/09/09)  
  2. Millions of Trauma(2001/09/16)

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Fighting−それは誰のため−


  「頑張れ」というコトバがある。
  落ち込んでいる人や、困難に立ち向かう人に対して、誰もが励ましの思
 いをこめてそのコトバを口にする。そこには、当然ながら何ら悪意の介在
 する余地はない。皆、素直な気持ちから発せられるエールを送る。
  俺ももちろんそう…だった。つい最近までは。

  なぜ、「だった」とわざわざ過去形で断りを入れるのか。それをちょっ
 と語ってみる。


  人には、当然ながらいろいろなタイプがある。

  ・プレッシャーを楽しんでしまう人/プレッシャーに押し潰される人
  ・常に誰かとつながっていたい人/他人との関わりをウザいと思う人
  ・落ち込んだ時には励ましてほしい人/
    落ち込んだ時にはほっといてもらいたいと思う人

  前者の人々にとっては、あらゆるエールがチカラになる。そして実際、
 頑張ろうという気になるモノだ。
  だが、後者の人々にとってはどうだろう。何の気なしに口にした「頑張
 れ」というコトバが、時として余計なお節介に感じてしまうコトもあるの
 ではないだろうか。

  「言われなくったって頑張るよ、うっとーしいんだよ!」

  …そんなヘソ曲がりも世の中にはいたりする。

  だが、もっと気になるのは、その何気ない「頑張れ」のひとことが、落
 ち込んでいる人間をさらにエグってしまうコトだって、往々にしてありう
 るというコトだ。端で見ている人間には解らないほどに打ちのめされた人
 間には、さながら傷口に塩を擦りこむような痛みを伴って響くコトだって
 ある。

  「…人の気も知らないで、そんなコト言われたって頑張れるワケな
   いだろ!?」

  俺は遭遇したコトはないが、そうやって半ばヒステリックに喚き散らす
 人間もいるのだ。切羽詰まっている人間の心情は、その立場に置かれてい
 ない人間にはなかなか想像できない。だから思わず、

  「何だよ、せっかく励ましてやろうと思ったのに!」

  と逆ギレしたりもする。どちらが悪いというワケではないだけに、難し
 いところだ。


  だが、俺としては後者のような人間の立場を考えた時、やはりうかつに
 「頑張れ」なんて言えない気がする。
  自分自身、あまり「頑張れ」と言われると、正直嫌気がさしてくる。ま
 るでプレッシャーをかけられてるみたいで、いい気分がしないのだ。それ
 に、俺はもともと「頑張る」というコトバがあまり好きではなかった。だ
 から余計に、悪気のないエールにさえも、心の中で過剰反応してしまうの
 だ。ぶしつけな話ではあるが、時としてこんなコトさえ思ってしまう。

  「『頑張れ』ってさ、俺は他人のために頑張るんじゃないんだよ。
   頑張るとしたら、まず自分のためなんだ。言われなくったって、
   頑張らなきゃいけない時は自分で頑張るよ!」

  …自分がそういう考えだからか、最近俺は他人に対して「頑張れ」とい
 う台詞を口にしなくなった。体裁のいい表現をするなら、

  『自分がされてイヤだと思うコトは、他人に対してするな』

  というコトだ。

  もっと言うなら、自分が「相手の立場」に立っていないにもかかわらず
 「頑張れ」と口走るコトは、まるで高見の見物を決め込んでいるようで、
 時として良心の呵責にさいなまれるのだ。


  だから俺は、うかつに「頑張れ」というコトバでエールを送りたくない。
  無責任に大所高所から送る励ましなど、這い上がらねばならない立場に
 立たされた人間にとっては何のありがたみもないと思うから。

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Millions of Trauma


  「…これが、…現実世界なのか? これはリアルなのか?」

  轟音とともに崩落していくビルの映像を目の当たりにして、俺にできる
 のは、取り憑かれたように自分に問いかけるコトだけだった。


  マンハッタンの象徴として誰もが知る、世界貿易センタービル。イスラ
 ム原理主義の過激派にハイジャックされた民間航空機(しかもボーイング
 !!)が用いられた、史上最大最悪の自爆テロは、恐らく今後どれだけの
 時を経ても、人々の記憶に刻まれ続けるモノであろう。
  そしてこれは、直接の関わりを持たない我々「他国の一般市民」にとっ
 ても、決して避けて通るコトの許されない出来事だ。恐らくこのコーナー
 始まって以来、もっともまとまりのない文章になるコトは目に見えている
 が、今回はこの事件に触れたい。


  テロの発生後、パレスチナの街角で喜びの声を上げる市民の姿がニュー
 ス画面に映し出された。テロに戦慄し、恐怖し、そして怒りを覚えた人々
 は、その映像に対して「信じられない」という思い(もちろん怒りの感情
 を含む)をことごとく口にした。
  だが、俺はそこで快哉を叫ぶパレスチナの人々を非難はできなかった。
 ほんのちょっと立場を変えて考えてしまったからだ。

  ・自分大切な人が殺された
     ↓
  ・犯人はのうのうと生きている
     ↓
  ・その犯人が、何者かに殺される
     ↓
  ・思わず溜飲を下げる

  上のチャートを、パレスチナ人の立場から、以下のようにして置き換え
 てみてほしい。

  ・赤文字:パレスチナ市民
  ・青文字:パレスチナの同胞
  ・緑文字:侵略者イスラエルと、それを支援するアメリカ

  上のチャートのような立場に自分が立たされたなら、やはり犯人に対し
 て復讐してやりたいと腹の底から思うだろう。だが、その復讐が容易には
 なし得ない時に、誰かがそれを果たしてくれたら…。
  多分、今回のパレスチナ人と同じように「ざまァみろ!ざまァみろ!」
 と思うだろう。その過程で、無関係の人間が巻き添えになったとしても。
 だから俺は、喜んだパレスチナ人たちを否定できない。
  そして、甚大な被害を受け、報復行動へと邁進するアメリカの心情も同
 じように否定できない。
  それが、殺戮のヴィシャスサークルにつながると解っていても。

  もちろん、テロは許されるものではないし、戦争なんて起きない方がい
 いに決まってる。だが、やられたらやり返す(それも殆どが倍返し以上)
 のが人間の本性だとも思っている。そう考えれば、お互いの行動もごく当
 たり前のモノでしかないのだろうと、俺の中の結論は収束するのだ。


  だが、その報復行動を「正義」の名のもとに実行しようとするアメリカ
 の姿勢に、どうしても違和感を拭えないのもまた事実ではある。と言うの
 も、ここで口にされる「正義」が、民主主義世界の基準−というよりは、
 アメリカの基準に照らした「正義」であるコトが見えてしまうからだ。
  広島・長崎に原爆を投下したのも、朝鮮戦争もベトナム戦争も湾岸戦争
 も、全てはきっと「正義」という大義名分をもっての行為。しかし、その
 結果はどうだっただろう。
  広島・長崎では何十万人という人々が命を落とし、それを遥かに上回る
 人数が被曝した。
  朝鮮半島はふたつに分断され、くだらないイデオロギーの違いから、同
 じ民族なのに・隣の国なのに、あまりにも遠くへ離れ離れになってしまっ
 た。
  ベトナムでは枯葉剤によって、その後多くの障害児が生まれ、社会と世
 界に深く暗い影を落とした。
  湾岸戦争では、イラクによって多くの油田が破壊される結果になり、有
 限である化石燃料が大量にムダに燃やされてしまった。あげく、中国大使
 館誤爆…。そして、イラクの一方的停戦宣言のため、結局はイラク軍も、
 サダム・フセインも殲滅できなかった。ヤツらはまだ生きているのだ。
  結局、残されたリザルトはいずれも悪いモノばかり。何ひとつ、いい結
 果などもたらさなかった。それを果たして、「正義に基づく行動」と認め
 られるのだろうか。

  そして、アメリカの正義は、イスラム世界にとっては往々にして「悪」
 である。つまりアメリカによる報復行動は、「アッラーの正義」に照らせ
 ば「テロ」。それは、「アッラーの正義」=聖戦(ジハード)の名目に基
 づいた更なるテロの呼び水となる。悪循環だ。
  そこに、万民にとっての普遍的な「正義」は見えない。ホントウの「正
 義」とは、いったい何なのだろう。そして、どこにあるのだろう。
  こうしてまた、答えの見えない迷路に立ち止まってしまう。


  アメリカが報復行動−いや、戦争にうって出るというコトは、当然日本
 にある米軍基地からも出動があるというコトだと俺は判断している。つま
 り、この国は「前線基地」として、否応なく戦争に巻き込まれるのだ。そ
 の時、この国はどうなって行くのだろう。「アメリカの行動を支持する」
 と表明した小泉首相は、そうなった時にどんな対応をしようというのだろ
 う。現行憲法の範囲内で、ギリギリの協力体制を敷くのか、それとも流れ
 にまかせて戦争の枠組みに組み込まれるままになってしまうのか。

  その小泉首相の今回の事件に対する対応をただすとして、日本の野党は
 臨時国会の開会を与党に対して要求したというニュースを目にした。当の
 アメリカが党派を超えて挙国一致で今回の事件に立ち向かおうとしている
 のを見ると、日本の現状が何ともお寒いモノに思えてならない。国家、そ
 して政治の「基礎体力」の大きな違いを垣間見た気がして、やるせない気
 分になった。
  考えてみれば、地下鉄サリン事件(あれもオウム真理教によるテロだ)
 の時も、この国は「挙国一致」になどならなかった。今回のアメリカでの
 事件のようなテロが日本で起きたとしても、きっと野党が与党と手を結ん
 でコトにあたるということはないのだろう。
  「危機意識」のあまりにも欠如した国で生きていくコトの哀しみを想い、
 俺は暗澹たる気持ちになる。


  まとまらない気持ちのまま好き勝手にいろいろなコトを書いてきたが、
 行方不明になっている人々が少しでも早く・ひとりでも多く生きて発見さ
 れてほしいと思うし、地上で・ビルの中で・飛行機に搭乗していて犠牲に
 なった人々の無念はいかばかりだったかと思う。それは、これを今読んで
 いる皆さんも同じ気持ちだろうと思う。

  飛行機がビルに激突する瞬間を現地で目の当たりにした人。
  煙の充満する非常階段を必死で駆け下りて避難した人。
  降りかかってくるガレキに当たって血まみれになりながら逃げた人。
  そのガレキに埋もれながらも、助けを待ち生き続けた人。
  パニックの中でビルの窓から身を投げる人の姿を目撃してしまった人。
  乗っ取られた飛行機に友人や家族が搭乗していた人。

  あらゆる人の心に刻まれた傷の深さに想いをいたすたびに、深い悲しみ
 と、テロに対する強い怒りがふつふつとこみ上げる。
  犠牲になった方々のご冥福を、心より祈る。


  だが、崩れ落ちるビルの映像を見るたび、やはり思ってしまう。

  「…これはリアルなのか?
    こんな簡単にビルが崩れてしまうのか?
    悪い夢であってくれ。いっそ特撮であってくれ…」

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