2002年4月
     
  1. Come Out And Play!(2002/04/19)

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Come Out And Play!


  「プロレス?あんなの八百長じゃん」

  力道山の昔から、常に語られてきた台詞である。
  20年前(当時は小学5年生だった)、プロレスファンになったばかりの
 頃、俺も父親にそんなコトを言われ、ムキになって反論したモノだった。
 きっと、今でも世間には、当時の俺と同じようにムキになる人間が多数い 
 るだろう。
  だが、今の俺ならこう言う。


  「えぇ、プロレスは八百長ですが何か?」


  今回は、自分が好きで観ている「プロレス」とは何か、そしてそのプロ
 レスに対する俺の考えを、先日(といっても結構前になるが)出版された
 ある本を下敷きにして語ってみたい。


  かつて、新日本プロレスでレフェリーを務めていたミスター高橋氏が出
 版した『流血の魔術 最強の演技』という本がある。ありていに言ってし
 まえば、プロレスの内幕暴露本である(実はこのシリーズも2冊目とか)。
 どのようにして試合の展開や勝敗が予め決定されるかについてや、流血戦
 のからくり、あるいは「アングル」と呼ばれるサイドストーリーの展開の
 させ方に至るまで、長年にわたって業界で生きてきた人間でなければ書け
 ないような内容がぎっしりつまっている。
  その昔、ゴールデンタイムでTV中継の枠があった頃、

  「何でいつも、放送終了時間に合わせてきっちり試合が終わるんだ
   ろう?」

  と疑問を持った人は、少なからずいるだろう。アンチプロレスを標榜す
 る人間は、その「不思議」をあげつらって、「だからプロレスは八百長な
 んだ」と揶揄したモノだ。
  だが、その「不思議」は、特に取り上げるにもあたらないようなモノだ。
 もともとプロレスは、どの試合も予め勝敗が決められているだけでなく、
 どこでどのような形で技を受けたりかけたり切り返したりするかまで、事
 前に細かく打ち合わせてあるのだ。
  だから、放送終了に合わせて試合が終わるのは当たり前なのである。

  実際、そのように細かい内幕は、俺もこの本を読んで初めて知ったコト
 であるため、かなりショックだった。だが、さすがに俺も今さら「プロレ
 スは真剣勝負である」なんて幻想は持っていなかったため、失望めいたモ
 ノは感じなかった。むしろ、ある意味で「新鮮な驚き」を得るコトができ
 たと言える。
  TV等で試合を見ていると、

  「この展開って、どー考えても『お約束』じゃなきゃありえないだ
   ろ?」

  という流れというモノがある。例えば、ジュニアヘビーの試合(特に6
 人タッグ。仮にA・C・E組vsB・D・F組としようか)でよくある例として…

  1. Aが、場外のBに向かってダイブ
  2. 場外で立ちあがったBに向かって、今度はCが飛び技で攻撃
   (中略・同様の展開で3.〜5.までくりかえし)
  6. リングに戻ったAに対し、最後はFがミサイルキック

  …このような流れが、かなりのスピードで繰り広げられる。真剣勝負で
 あったら、かように「都合のいい展開」などありえないはずだ。
  にもかかわらず、未だにプロレスに対して「リアルファイト幻想」を持
 っている人間は少なからずいるように思われる。2ちゃんねるのプロレス
 板で「あんなの八百長じゃん」という煽りスレッドに、ムキになって過剰
 に反応する輩が今もっているあたりが、その証左であるように思える。
  だが、そのような煽りを行う人間も、俺にしてみれば「何を今さら、判
 りきったコトをわざわざ口にしてんだ?ダサいヤローだ」でしかない。
  そもそも、1回の巡業シリーズでは、週に4〜6回平均で約1ヶ月にわ
 たって試合をこなす。毎回毎回、どちらが勝つのか判らないようなセメン
 トファイト(=真剣勝負のコト)をしていたら、身体がもたないどころか
 確実に死んでしまう(ボクシングで毎日タイトルマッチをやったらどうな
 るだろうか?想像してみてほしい)。
  特に最近のプロレスの傾向として、受け身のとりにくい危険な大技が多
 用されるコトが多い。なおさら「八百長」でなければやってられない状況
 になっているのだ。
  最近のファンは、すっかり目が肥えているから、それくらいのコトはす
 でに「折り込み済み」として了承した上で、プロレスを見ている。一部の
 「幻想信奉者」以外は、その結果ではなく展開を楽しみにして、試合を観
 戦しているのだ。


  だが、未だにプロレスは自らを「スポーツ」と名乗っている。それには
 もはやかなりムリが生じているにもかかわらずだ(ただ、現状ではスポー
 ツとしてしかカテゴライズできないというのも事実ではある。俺もプロフ
 ィールでは「好きなスポーツ」の中にプロレスを組み込んでいるし)。
  俺の中では、スポーツというのは「終わるまでは結果の見えない真剣勝
 負」と定義づけられている。そういう観点からすれば、プロレスは「スポ
 ーツ」ではない。
  事実、アメリカ最大のプロレス団体・WWFは自らを「スポーツ・エンタ
 ーテインメント」であるとはっきり定義づけ、各種の壮大(笑)なアング
 ルを組み立てるシナリオライターが存在するコトすら公にしている。ファ
 ンもそれを充分理解した上で、ソープオペラとも称される各種のドラマを
 楽しんでいるのだ。ぶっちゃけな言い方をしてしまえば、

  『アリーナクラスの見せ物小屋』

  といえるかもしれない(そう言えば、プロレスの巡業は「興行」と呼ば
 れる。見せ物として考えれば、納得のいく呼称である)。
  高橋氏も本の中で書いているが、日本のプロレスもWWF同様、身体を張
 ったショーであるコトを公にするべきではないのだろうか。
  「芝居」であれば、それは八百長ではないのだから。


  ただ、高橋氏は新日本プロレスに「業界の牽引役」を期待しているが、
 俺に言わせれば、現状ではそれは難しいのではないだろうかと思う。現在
 日本でもっとも歴史のある団体だから、期待したくなるのも解るのだが、
 それゆえ逆に組織が肥大化しすぎていて、小回りのきく動きが期待できな
 いのだ。
  そもそも、小川直也と橋本真也の一連の抗争劇にしても、俺にしてみれ
 ば、何やら中途半端な形で終わってしまった感じがする。
  小川というレスラーは、そのキャリア・素質だけでなく、キャラクター
 としても申し分のない、「客を呼べるソフト」であったはずだ。その小川
 を使いこなすコトのできなかった新日本プロレスに、俺はあまり期待はで
 きないというのが本音だ。
  それに、プロレスラーが「エンターテイナー」である以上、ただ強いだ
 けではなく、技をカッコよく見せたり、マイクアピール等で自分の存在を
 押し出したりもしなければいけない。つまり、セルフプロデュース能力が
 レスラーには必要なのだ。
  だが、ひと頃の新日本プロレスは、そのセルフプロデュース能力に欠け
 る佐々木健介を「エース」として立てていた。エースを務める人間がしょ
 っぱければ、団体そのモノもしょっぱく見えてしまう。にもかかわらず、
 そんなレスラーをエースに立ててしまったところに、新日本プロレスの限
 界を感じてしまうのだ。
  今でこそ、「黒のカリスマ」・蝶野正洋を現場責任者とするコトで、若
 干の構造改革に乗り出したようではあるが、セルフプロデュース能力の高
 さでは蝶野と双璧をなしていた武藤敬司が全日本プロレスに去ってしまっ
 たあたり、−武藤をつないでおけなかったあたりに、やはり上記と同様の
 「限界」を感じてしまう。


  むしろアングルの面白さや、試合展開のめまぐるしさ等、プロレスの各
 種要素については、インディーと称される小さな団体の方が優れていると
 思う。
  今後、東京ドーム等の大会場での試合において、新日本は「他団体プロ
 デュース枠」試合を1〜2試合ほど用意するようだが、その他団体枠の試
 合の中から、今後のプロレスに必要なものを新日本が学んでくれるコトを
 期待したいと思う。


  本当はもっと時間をとって、きっちり語りたいネタなので、機会があれ
 ば、またプロレスについては取り上げたいと思う。

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