2002年7月
     
  1. 冷静と熱病のあいだ(2002/07/25)

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冷静と熱病のあいだ


  5/31から6/30にかけて、日韓両国を未曾有の「祭りムード」に巻き込ん
 だ、FIFA World Cup(TM)。
  Jリーグ1stステージも再開されたこの時期、今さらな気もするが、今
 回は俺なりにワールドカップについて書いてみる。


  初の「共催」となった今回のワールドカップ。心配されていたフーリガ
 ンによる騒乱もなく、全体的には成功裏に終わったと言えるのではないだ
 ろうか。
  だが、今回のワールドカップをきっかけにサッカーというスポーツが日
 本に根付いたのかというと、俺個人としては疑問を感じざるを得ない。
  そう感じてしまうのは、ひとえにタレント並みの人気でもてはやされた
 デビッド・ベッカム(イングランド)の存在があると個人的には思ってい
 る。
  確かに、ハリウッドスターにも劣らない甘いマスクや、流行となったソ
 フトモヒカンなど、人気を得るにしかるべきモノを持っている。
  だが、彼はあくまで「アスリート」。その評価は、本業であるサッカー
 でされるべきではないのだろうか。
  俺にも、競技種目を問わず、カッコいいと思うアスリートがたくさんい
 る。が、その評価の最重要ポイントは、その人間が「自分のやっている競
 技を通じて、どれだけ自分自身を表現できているかだ。
  スタジアムやキャンプ地で「きゃぁ〜、ベッカムぅ〜!!」と黄色い声
 をあげていた連中のうち、試合でのベッカムを見ていた人間はどれだけい
 たのか。俺にははなはだ疑問に感じられて仕方ない。
  だいたい「サッカーってルールが難しくてよくわかんなぁ〜い」などと
 ほざいていたアホもいたという話を聞いた。サッカーなんて、世間でメジ
 ャーなスポーツ競技の中では、相当ルールの少ない部類に入るはずだ。そ
 れを「ルールが難しい」と言うようでは、おそらくどんなスポーツもまと
 もに理解などできようはずもない。
  別に、ベッカムのルックスからサッカーを知るというのも一向に構わな
 い。が、そこから先、個人個人の選手の姿にだけ注目するのではなく、選
 手たちの戦いぶりを見るコトで、そこから何かを感じ、スポーツというモ
 ノに理解を示してもらいたいと、俺は思う。


  ここからはがらりと話題が変わるが、もうひとつワールドカップ関連の
 話題として。
  イングランド代表チームのキャンプ地となった、兵庫県津名町。ここも
 他のキャンプ地と同様、代表選手と市民の交流がいろいろと画策された。
 警備の問題等もあってか、結局中津江村(大分県。ご存じカメルーン代表
 キャンプ地)のようにはいかなかったようではある。でも、抽選で選ばれ
 た子供たちが、代表選手からサイン色紙をもらって喜ぶ様など、ニュース
 でも取り上げられていたことから記憶にある方も多いだろう。
  だが、そのサイン色紙を「子供に不公平感を持たせてはいけない」との
 理由で回収−いや、子供たちから取り上げてしまうという、教育委員会の
 暴挙には、怒りを通り越して呆れるより他なかった。
  もともと町の全ての児童にサインをあげるコトなど物理的にも困難だか
 らこそ、抽選で選ばれた子供たちにサインをあげたのではないのか。後か
 らそんなもったいぶった屁理屈をつけて子供たちの夢を踏み潰すようなマ
 ネをするのなら、最初からそんな企画などしなければよかったのではない
 かと俺は思う。
  結果的に世論の突き上げを食らって、子供たちにサインを返却するコト
 になったが、「みんな平等」の意味を激しくはき違えたとしか思えないこ
 の騒ぎには頭を抱えた。
  教育者が子供の健全な精神の発育を阻害してどうするのか。ワールドカ
 ップ関連のニュースの中で、俺はこのニュースがいちばんカンに障った。


  もうひとつ、今回のワールドカップの報道についても触れたい。

  戦後日本で、3度のオリンピックを除けば最大のスポーツイベントとい
 うコトもあり、あらゆる報道機関がワールドカップ1色と言える状態だっ
 たコトは確かだ。
  だが、その「染まり方」が、若干ヒステリックというか異常というか、
 そんな風に感じられたのもまた事実だ。
  俺などはもともとスポーツ観戦自体が好きだからそれほど苦にはならな
 かったが、あまりにもワールドカップ1色すぎる風潮はどうかとも思った。
 「ワールドカップで盛り上がらざれば人に非ず」的なモノすら感じたから
 だ。
  特に今回は、チケット販売上の不手際もあり、予約電話殺到のせいで携
 帯電話が一時的に通じなくなったり通話困難になったりという障害も発生
 した(それで迷惑を被った人間も実際いるし)。あるいは、日本×ロシア
 の試合後に暴れたり脱いだりして逮捕された人間も出たりと、マイナスの
 面も少なからず見受けられた。それを差し引いても、もともとからしてス
 ポーツにそれほど興味がないという人間もいるというのに、一部にはそれ
 (興味ないから見ない)を頭ごなしに否定するかのような風潮があったの
 が気にいらない。
  先述の津名町の件もそうだが、なぜ「同じ」でなければならないのか。
 この奇妙な民族性がある限り、日本の「真の国際化」への道のりは遠いの
 ではないかと感じる。

  それに、決勝トーナメントの対トルコ戦での敗退に際し、「日本代表よ
 夢をありがとう」的なヘンにウェットな報道が多数を占めていたのも、俺
 にしてみれば「何だかなァ…」という感じだった。
  俺は、アスリートは別に応援するファンのためではなく、自分の名誉の
 ために戦うのでいいと思う。もちろんファンの応援も競技をする上でのモ
 チベーションになるだろうが、最大のモチベーションは自分の名誉(ビッ
 グチャンス獲得とかいろいろ)ではないかと思う。
  サッカーファンには忘れられない、1993年10月の「ドーハの悲劇」の直
 後にも、同じような論調が新聞記事やニュースの大半を占めた。そんな中、
 当時の日本代表だったラモス瑠偉は、ある新聞のインタビューでこのよう
 なコメントをしていた。

  「『夢をありがとう』って言うけど、そんなの冗談じゃない。
   自分は別に夢を与えるために戦ってたんじゃないんだ」

  中途半端にエモーショナルな「感動感謝」主義的オピニオンに対し、そ
 のようにかみつくスポーツ選手が最近は少ないように感じる。それが俺に
 は歯がゆくてならない。


  次に同じようなビッグイベントが日本国内で行われるのがいつになるの
 かは知らないが、その時がきたら、もっと日本人は成熟しているのだろう
 か。
  俺には、それが気がかりだ。

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