2003年4月
     
  1. 悲しいほど青空。(2003/04/22)

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悲しいほど青空。


  稀有なる才能がひとり、その人生に幕を下ろした。


  4月6日。MotoGP・日本GP決勝。
  今年は初めてシケインスタンドの指定券を確保し、座席確保に頭を悩ま
 せることなく、熱のこもったバトルを楽しめるはずだった。
  しかし、シケインが4輪レースを主眼においた改修を受け、2輪レース
 を見る側からしてみれば、最大の見どころを失ったようにも思っていた。
 それでも、2輪用のダブルシケインではバイクのスピードが落ちるため、
 移籍やスポンサー変更で変わってしまったカラーリングに慣れるためには
 ちょうどいい観戦ポイントだろう、といいように思いなおしていた。

  −あの瞬間までは。


  オープニングラップ、初レースとなるドゥカティを駆るL・カピロッシ
 がトップで戻ってくる。大治郎はセカンドグループで、T・ベイリス(ド
 ゥカティ)や玉田誠(ホンダ)とバトルしていた。
  そして、問題の3周目。先頭3台から少し離れてベイリスが単独走行。
 宇川徹(ホンダ)やC・チェカ(ヤマハ)、そして大治郎を含んだセカン
 ドグループが、続けてシケインへ入ってくる。
  まだトップで頑張っていたカピロッシの走りを目で追っていた俺は、シ
 ケインを指差して叫ぶカミさんに肩を叩かれ、そっちの方向を見る。


   俺の目に飛び込んできたのは、
   カウルもはずれ、半ば鉄の塊になった状態で、
   シケインアウト側のグラベルへ向かって縦に回転しながら、
   1台のバイクが転がってくる光景だった。


  自分のいた席は、シケイン1つめからは結構離れていて、その瞬間は全
 く見えなかった。だれがどうしてクラッシュしたのかも判らず気をもむ。
  場内実況の声で、それが大治郎だと知ったのは、それから1ラップほど
 後だっただろうか。その直後、救急車がピットロードを大治郎を乗せて下
 ってゆくのが目に入った。
  この時は、いくら何でもそんな大事故だとは知らなかったし、思っても
 いなかった。大治郎がクラッシュしたことで、4位を走っていたチームメ
 イトのS・ジベルノーに肩入れして応援していたくらいだったから。
  だが、レース終盤、医療ヘリが飛び立つのを目の当たりにして、徐々に
 不安が心の底に重くよどんでいった。

  そして夜、帰宅して早々につけたテレビ。
  NHK『サンデースポーツ』の放送ラストで「意識不明」との報を聞き及
 ぶに至り、焦燥と不安はますます膨れ上がるばかりだった。


  心の容積のほとんどを占める不安。
  我ながらぼんやりした視点。仕事も手につかないほどに気もうつろ。
  何をしていても、いつもどこかで

  「大治郎、生きろ。
   大治郎、起きろ!」

  と祈りながら日々を過ごしていた。
  PCの壁紙も大治郎の写真に替え、起動/終了のたびにその壁紙に向かっ
 て願いを込めた。
  トーチュウの記事に気をもみながらも、血圧や脈拍が安定したとのニュ
 ースを目にして、「きっと復活する!」と信じていた。


  でも、願いは届かなかった。


  用事があって出かけた日曜夜。新宿駅のキヨスクで、クリアケースに入
 ったトーチュウ最終版の見出し。
  震えるひざをなだめすかし、歯を食いしばって、ぺたりと座り込みそう
 になるのを踏みとどまるのが精いっぱいだった。


  翌日。
  いくら重苦しい気分でも、悲しくても、親族でもない人間の死を仕事は
 待ってくれない。
  考える時間ができたら、きっとそればかりを考えて何もできなくなる。
 そう思ったから、「いっそ忙しくなれ。何も考えなくて済むようになれ」
 と、ささくれ立った心で願った。
  そして、叶ったのはそんな願いだけだった。
  1日中、わずかな微笑すら見せずに過ごした。


  そして今日、−4月22日。
  もともと代休だった。考える時間だけは売るほどあった。
  だけど、考えることはひとつ、


  「悪い夢なら、早く醒めてくれ」


  まだ現実を、自分の中で受け入れられなかった。

  そんな自分を抱えながら生きるのがイヤになったから、告別式会場へ足
 を運ぶことにした。
  参列はできなくとも、せめて野辺の送り−出棺の瞬間に立ち会うくらい
 いいだろ、と。
  そうすることで、現実を自分の中で消化して、明日からもう1度自分の
 心をリセットして歩こう、と。


  13時すぎ、上野・寛永寺輪王殿。
  道路をはさんで反対側から、泣き出しそうな表情で見つめている多くの
 一般ファンがいた。俺もその中に加わり、出棺まで黙って見守るつもりだ
 った。
  だが、喪服ではない姿(仕事途中のバイク便ライダーもいた)のファン
 の列が寺の中へと伸びているのを見たら、もう矢も盾もたまらず、俺もそ
 の列の最後尾に歩を進めた。

  ホンダの公式サイトでは「一般の方は参列ご遠慮願います」とのリリー
 スがあったが、現地では一般ファンのための記帳スペースもあった。そし
 て、現地に足を運んだ人間はみな、焼香させていただけるらしかった。
  俺も自らの名を記し、焼香の列に並んだ。
  だが、祭壇に飾られた大きな遺影(とびきりの笑顔…)や、真新しい青
 と黄色のヘルメットを見ても、まだ自分のどこかでこの現実を信じられず
 にいた。


  やがて「最後のお別れ」も終わり、待機している寝台車へと、家族や親
 族・ともにWGPを戦ったライダーたちの手によって、棺が収められた。
  車は粛々と動き出し、山門のすぐ手前で一旦停まる。−図らずも、それ
 は俺の目の前だった。


   キャデラックのリアゲートは、目の前1メートル足らず。
   その向こうには、確かに大治郎がいる。
   手をほんのちょっと伸ばせば、すぐに届くほど近くにいる。
   確かにいる。

   でも、いくら手を伸ばしても、
   呼びかけても、
   返事なんてかえってこない。
   何も言ってはくれない。


  その事実を突きつけられた瞬間、それまでこみ上げてもこなかった涙が
 滂沱の勢いであふれてきた。


   誰も死んじゃいけない。
   誰もが生きなきゃいけない。

   なのになんで?
   なんで大治郎は死んだの?
   なんで大治郎が死んだの?
   なんで?
   なんで?


  人目も何もはばからず嗚咽した。
  涙は、なかなか止まってくれなかった。


  そして、大治郎の父・隆さんによる参列者への挨拶も終わり、出棺−野
 辺の送りの瞬間がきた。


  長く響く、キャデラックのクラクション。
  再び涙があふれた。


  「大ちゃん、ありがとう!!」


  斜め後ろから発せられた、ひとりのファンの叫び。

  クラクションと一緒にその声が吸い込まれていった先は、
  雲ひとつすらも浮かんでいない、
  何の罪もない、悲しいほどの青空だった。

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