2002年10月
- 空虚な時間、空虚な舞台(2002/10/30)

4月・10月といえば、TV各局の改編期にあたる。期をまたぐ頃にはさま
ざまなスペシャル番組が新聞のTV欄を埋め尽くし、各期初頭には有象無象
のドラマがスタートする。
しかし、これら毎年毎年とっかえひっかえ放送されるさまざまなドラマ
の中で、これは貴重な時間を割いてでも見ておかなければというようなシ
ロモノが、果たしてどれだけあるだろうか。
今回は、ドラマというものについてつらつらと語ってみる。
基本的に、俺はほとんどドラマを見ない。特に、民放各局で毎クールご
とにメジャータレントのガン首並べただけで視聴率を稼ごうというドラマ
は、番宣のCMの時点から見る気もおきない。
そもそも、そういったドラマからは「訴えかけるモノ」を全く感じられ
ないのだ。心のシンの部分に訴えてくるモノがない。ただのドタバタにし
か見えないのだ。
人間、1日の時間というものは限られている。その中でも、家でゆっく
りできる時間などというとますます限られてくるものだ。その貴重な時間
を、生産性も何もないドラマでつぶしてしまうのは、単なる時間のムダだ
けではなく、人生そのモノもムダにしているようにしか、俺には感じられ
ないのだ。
普段、家でテレビを見る時は、だいたいニュース・スポーツ・ドキュメ
ンタリーといったあたりを見ている。ニュースやドキュメンタリーからは、
のんべんだらりと過ごしていたのでは知り得ることもない知識を入手する
コトができる。そして、そこから得たモノについて、自分の中であれこれ
と思いをめぐらせ、自分の意見というモノを構築し磨くコトができる。
スポーツならば、アスリートたちの「超絶技巧」を目の当たりにして驚
きの声をあげ、熱い戦いに快哉を叫び、日常のストレスを解消するコトが
できる。そして、トップを争う者たちの心理というモノを感じ取り、人間
の心の動きの機微というモノに思わずクスリとしたりもする。
なぜ、ドラマなどではなくそれらの方が面白いと感じるのか。…それは
ひとえに、それらが全て「そこで起きている『現実』」であるからだ。否
定しようのない現実というモノは、常に重みをもって人のこころをうつモ
ノだからだ。
たとえ虚構の世界(=この場合はドラマ)であっても、そこに現実世界
を想起させるモノ、−人のこころのシンの部分に訴えかけるモノがあれば、
何ら問題ない(『ER』なら「医療と人の生命」、『フルハウス』なら「家
族愛」など、作品の根底に流れるコンセプトとでも言うべきモノだ)。
だが、日本のドラマからは、そのようなモノを感じない。何を言いたい
のか、主張などこれっぽっちもないようなモノばかりだ。
それどころか、原作がしっかりしていて、見ようかと思わせるようなモ
ノでさえ、TVドラマ化されるにあたってオリジナル脚本に「改悪」されて
しまうコトがあるのがたまらなく気に入らない。
この10月からフジテレビ系列で放送がスタートした『アルジャーノンに
花束を』など、その格好の例であるだろう。原作を読んだコトがなかった
上、主演のユースケ・サンタマリアがどのような演技を見せてくれるのか
非常に気になったのだが、スポーツ新聞の記事で「TVオリジナルのストー
リーも追加される」というのを目にして、一瞬にして見ようという気が失
せてしまった。
アニメなどでもそうだが、原作に忠実でなかった作品は決して人気を博
するコトはない。原作の持つイメージからかけ離れてしまうコトで、多く
のファンを敵に回すからだ。
原作者が訴えたかったモノをスポイルしてまで、TVの視聴者に媚を売る
ようなマネがあまりに多いのも、ドラマを見る気にならない要因のひとつ
である。
どうせ同じ「生産性のない時間」を過ごすのだったら、ドラマよりまだ
お笑い番組の方がいいというモノだ。くだらないネタであっても、笑うコ
トでストレス発散ができる。ドラマでは、むしろストレスがたまるばかり
だ。
2001年7月に取り上げたこの話にも通じるが、こころに響くモノはいつ
でも現実から生まれるのだ。
壊すコトもない、−しかし創るコトもない。
そんな虚構の時間はいらない。

